遠山清彦です。今年のGWは、激しく移動する日々でした。いよいよGW明けから、消費税と社会保障一体改革の国会審議(本会議代表質疑から)が始まります。しっかり気を引き締めて、論戦に臨みたいと思います。

GW前夜の4月27日は国会から長崎に飛び、翌28日は、兵庫県尼崎市に小選挙区予定候補の応援に入り、九州新幹線を使い深夜に鹿児島まで戻りました。

29日は、九州比例ブロックの新人候補と共に、鹿児島空港から、沖永良部島、与論島、奄美大島、喜界島と飛行機を5便乗り継いで次々と訪問し、最後は陸路で枕崎市での夜の会合に駆けつけ、深夜に鹿児島市のホテルにたどり着きました。

この日を「空と陸の旅」の日とすると、その翌日30日は「海の旅」。やや天候の悪い中、高速船で種子島と屋久島を訪問して本土に戻り、最後は指宿市内での会合で終了しました。ここまでは、私の地元活動の一環での離島巡りでしたが、改めて、離島の厳しい交通事情を実感することができました。空路にしろ、海路にしろ、身体への負担もあり、また、運賃コストもばかになりません。高齢者や病人が移動する時は、本当に苦労が多いだろうと思います。運賃コストについては、1キロ当たりの料金をJR線各駅停車並みに引き下げることが必要だと思っています。

さらに離島巡りを続けました。5月1日、2日は、公明党離島振興対策本部の公式視察として、山本ひろし参議院議員(同本部事務局長)と持冨鹿児島県会議員とともに、鹿児島県三島村の3つの島々を回りました。三島村は、私個人としても、離島振興対策本部としても、初訪問。私にとっては、これで74番目の有人離島訪問。山本参議院議員も、65番目の有人離島訪問となりました。

三島村は、竹島、硫黄島、黒島の3島で構成され、総人口は400人弱の小さな離島村です(3島とも同じ名前の島が日本の別の都県=島根、東京、沖縄に存在しますので、混乱が起きやすい)。これらの島々と周辺の岩礁は、中新期琉球火山脈に属する大型カルデラ、もっとわかりやすく言うと、海底火山の山頂や外輪山の一部が海の上に突き出ている島、ということになります。豊かな自然と、活火山(硫黄島)、良好な漁場などに恵まれており、訪れた人々の心身が癒されることは間違いありません。しかし、島民たちは多くの悩みと課題を抱えています。それを一つでも解決できないか、そんな思いで今回の視察を決めました。

1日の朝、私たちの全日程に同行してくれるという日高郷士村長を鹿児島市内の三島村役場に訪ねました。

「遠山代議士、山本議員をはじめ、5名の公明党国会議員が、昨秋、十島村(トカラ列島)を訪問したと聞いて以来、この日をずっと待っていました。三島村は、鹿児島本土から約40から50キロと、最も近い島々であるにも関わらず、忘れられがちであり、課題も多いのです。どうか、しっかり視察し、島民の意見も聞いてあげてください。」

「はい。今回は、国会議員2名と県会議員1名ですが、頑張ります!」と答え、ともに鹿児島市の南埠頭から出航する定期フェリー船みしま号(1200トン)へ向かいました。

定期フェリーの航行は順調で、村長と船内で懇談していると、約3時間で最初の訪問地、竹島に到着しました。十数名の島民の方々が歓迎に待っていてくださいました。この島は、人口76人、起伏の少ない平坦な島ですが、その名の通り、竹(大名竹)が至る所に生えており、季節柄、島はタケノコだらけでした。そのタケノコ入りのお弁当(本当に美味しかった)をいただいてから、島民の皆さんとの意見交換会を公民館で開催しました。

公明党側からのあいさつでは、今、与野党実務者間で協議中の離島振興法改正案について、公明党の主張の9割以上が盛り込まれる方向であることを報告させていただきました。特に、離島振興への国の責務の明記、離島定住促進の明記、さらに介護サービスや妊婦支援、子供の就学支援などきめ細かい生活支援策の実現を私たちが強調していること、などをお話ししました。

日高村長からは、「三島村の課題」として次の点が説明されました。
(1)老朽化した村有施設の維持補修費への支援
(2)枕崎航路の新設(現在は、黒島から鹿児島に戻ると6時間かかるが、黒島から枕崎へ延伸すれば、2時間で到着する)。さらに、これにより月に13回しかない航路が2時間の延伸で26回の往来が可能になる。
(3)離島の経済水域の確保
(4)新船の建造支援
(5)定期船の運賃補助強化(人の運賃、および、車検運賃の補助)
(6)高齢者対策(島から鹿児島本土に行った際の簡易宿泊施設の充実)

また、硫黄島には活火山もあることから、「ジオパーク三島村」(仮称)の創設も目指したい、とのことでした。

その後の島民の皆さんとの懇談では、「2週間前に急患が出たが、ドクターヘリが別の場所に出動中で待たされた。結局、防災ヘリコプターに来てもらったが、一刻を争う場合に不安である」ことや、「介護ヘルパーとしてお世話していた高齢者が突然亡くなり、身寄りもないため、お葬式代が出ず、結局お金を立て替えた」こと。「車検コストは、本当に高い。トラックは毎年1回の車検で、船賃を入れて約20万円もかかる」ことなど、生活に密着した多くの問題が提起されました。すぐに結論は出せませんが、それぞれの課題に真剣に対応することをお約束しました。

この後、昔使っていたという籠港や、隣の硫黄島がはっきりと見えるオンボ崎など、島を一巡し、港へ戻りました。港に見送りに来てくれた女性島民の方が、こう話しかけてきて、私は少なからず驚きました。

「遠山さん、ひとつ聞いて良いですか。他の党の議員さんなんですが、3年ほど前、選挙の前にこの島にヘリコプターで来まして、『政権交代したら、三島村への船賃は無料にします』とおっしゃったのですが、それは実現する見込みはあるのでしょうか?」

その議員は、まさに地元の与党代議士でした。今の与党に船賃無料化の話などないことは、私は良く知っています。『こんな、純朴な島民をだまして、票を取ろうとしていたのか』私は怒りが込み上げてきました。そして、こうお答えしました。「残念ながら、船賃をただにすることは、できません。しかし、着実に低減するよう、公明党は全力を尽くします。」その女性は、笑顔で頷いてくれました。

竹島から隣の硫黄島への移動は、村が保有している漁船体験船「みしま2」号でした。約1時間余りの間、荒波(波高2.5?3メートル)にもまれ、やっとの思いで硫黄島に到着しました。

硫黄島は、古い歴史を持ちます。平安時代、壇ノ浦で亡くなったとされた安徳天皇とその家臣団の立派な墓が存在します。また、後に歌舞伎の演目で有名になる僧侶「俊寛」もこの島に流され、ここで37歳の生涯を閉じています。昨年には、この硫黄島に歌舞伎役者の中村勘三郎氏が来島し、その演目を演じています。俊寛は、平清盛への謀反の罪でこの島に流されました。しかし、彼とともに流された2人は、後に赦免されており、この2人の話が後世「鬼が島伝説」の原型を作ったと言われています。

人口117人の硫黄島でも、島民の皆さんとの懇談会を持ちました。その懇談会では、歓迎の意義を込めて、島の若者3人が西アフリカの打楽器ジャンベの演奏をしてくれました。ギニア出身のジャンベ奏者との交流をきっかけに、この島にはジャンベスクールが設置され、多くの子供と若者がアフリカンのように、リズミカルに太鼓を打ち鳴らします。思いもかけない、鹿児島の小さな離島のアフリカンミュージック、本当に感動しました。

懇談会では、この島にある三島小中学校の改修工事を巡る文部科学省の冷たい対応が指摘されました。昨年、三島村は、老朽化した校舎の改修工事を実施し、約1400万円かかりました。義務教育施設の改修は1000万円を超えると通常補助金が出ますが、この三島小中学校の改修工事には補助金が1円もでなかったというのです。

村長いわく、「文部科学省から、『どこまでが小学校で、どこまでが中学校か。それがわからないと補助金は出せない』と言われたのです」と。なんとバカな話でしょう!小さな離島では、小学校と中学校は一体で運営されているのです。それを1つの校舎とみなせない、役人たちはきっと離島に一度も来たことがないのでしょう。私は山本議員とともに、この実態に怒り、必ず善処させることを誓いました。

また、もう一つ、この島でうかがったのは、「しおかぜ留学」という名前の島留学・里親制度です。鹿児島県内外から、不登校などの児童や生徒を受け入れ、豊かな自然の中で、島をあげて暖かく育む努力を長年してきました。ところが、最近、この島留学生が減り、島の学校の存続問題にまで発展してしまっているのです。この島への里親留学制度も、国の直轄事業にしてよいのではないか、私たちは率直にそう感じました。

懇談会終了後、私たち一行は、島民の皆さんに勧められて、硫黄島の天然温泉につかりました。この島は、活火山があるため、いたるところに温泉があります。翌日視察した海沿いにも天然の露天風呂がありました。温泉は海の中にも湧出しており、海の色が違います。山を見ると伝説の「鬼が島」のようですが、海を見ると「パラダイス」。そのコントラストがまた、この島の魅力でした。

その日の夜は、民宿に泊まりましたが、そこで出た夕食の美味しさは、終生忘れることができないでしょう。「本当に美味いものは、島にある」これは、数多くの離島を訪問して、私が実感した真実です。

翌朝、島全体に流れた防災無線で起床しました。「島民のみなさん、おはようございます。本日、午前10時20分、公明党離島振興対策本部一行が島を離れます。盛大にお見送りをしたいと思いますので、港まで集まってください!」この内容が2回繰り返され、私はびっくりして起きました。

朝食後、硫黄島を一巡し、硫黄岳のふもとに本当に黄色い炎(硫黄=亜硫酸ガス)を見て、港に向かいました。港には、島に住んでいる7割ぐらいの方々が集まってくださいました。日高村長も、「これは、島民のほとんどが来てますよ!」と。皆様の温かな笑顔に見送られて、硫黄島を離れました。

ところが、次の黒島に向かう海は時化(しけ)ていました。私の今までの経験で最も揺れたかもしれません。部分的には、波高3.5メートルはありました。村長が酔ってしまったぐらいです。ただ、私は揺れるのが好きなので、中で寝ていました(ややムチ打ち気味になりましたが)。

黒島では、港湾の視察、そして九州電力が実証実験しているスマートグリッドの現場に行きました。火力と風力と太陽光をミックスした小規模発電所があり、実験を続けているようですが、地元の案内人いわく、「再生エネルギーで発生した電力は周波数や電圧を安定させるのが大変なようです」と。なるほど、そうなのか、だからなかなかスマートグリッドが普及しないのか、と納得しました。

昼食後、黒島の山の上に車で行きました。黒島には活火山はありませんが、小高い山がそびえ、そこから見る景色は絶景でした。また、黒島の名前の由来は、「緑が深すぎて、海からみると真っ黒く見える」というものなので、本当に島のあちこちが深い緑に覆われていました。屋久島のミニ版のような雰囲気でした。

黒島を一周し、そのまま港へ戻り、多くの島民に再び見送られながら、三島村を後にしました。漁船体験船の操縦士さんが村長の体調を気遣ったのか、たった1時間で枕崎港まで送り届けてくれました。漁船体験船は、操縦士さん一人また硫黄島へ帰って行きました。

枕崎から鹿児島へ車で戻る途中、いろいろ考えました。自然と歴史と人情の島々、三島村。しかり、どれだけの日本人がこれからこの島々のことを知り、島民の皆さんの暮らしを想うだろうか。やはり、私たち国会議員が率先して光を当て、問題を解決していくしかない。これは自分の使命だと、そう、真剣に思いました。

今年度末で期限切れを迎える離島振興法。その改正案作りのための与野党実務者協議も、GW明けに大詰めを迎えます。公明党離島振興対策本部長として、事務局長の山本議員とともに、離島の島民の皆様に喜んでいただける改正案となるよう、最後の最後まで戦います!

三島村のみなさん、本当にありがとうございました。