○遠山清彦君 公明党の遠山清彦でございます。
 今日は、四名の参考人の方、大変にインフォーマティブな話をしていただきまして、ありがとうございました。
 まず、渡辺参考人と小川参考人にそれぞれ簡潔にお答えをいただきたいんですが、日本のこの最近の議論の中で、日米同盟とそれから国連中心主義が相反する路線であるかのように説かれ、そしてその上で、日本は日米同盟と国連中心主義とどっちを取るんですかと、こういう問い掛けが例えばテレビの討論番組なんかでも私たち国会議員に対して問い掛けられたりするわけであります。私、個人的には、この問い掛けというのは、問い掛けをすること自体が国際社会から見るとちょっと違和感のある問い掛けなんではないかと思っております。
 なぜかといいますと、そもそも日米同盟というのは日本と米国という二国間関係の中での話でありまして、日本にとりましては、日本が有する二国間関係の中で最も重要な二国間関係であるという位置付けになる話であります。他方、国連ということを考えました場合に、そもそも米国自体が国連の重要な一加盟国でありまして、安保理の常任理事国でもある、また、今回のイラク戦争は別といたしましても、その他の過去の国連の様々なオペレーションにアメリカは多大に貢献をしてきているということは事実としてあるわけであります。ニューヨークにも、アメリカのニューヨークに国連本部があるわけでありまして、そもそも国連とアメリカを分離して、どちら取るんですかという問い掛けすること自体、私は若干違和感覚えているわけでありますけれども、両参考人の、このいわゆる日米同盟と国連中心主義というのをどうとらえるか、これについて御意見を伺いたいと思います。

○参考人(渡辺昭夫君) 簡潔にお答えします。
 遠山委員の御意見に全く一から、始めからしまいまで賛成でございまして、特に異論はございません。
 国連というものが、何というんでしょうかね、おっしゃるとおり、アメリカが例えばそっぽを向いた国連というものがあり得るかどうか、機能し得るかどうかということを考えればそう言えると思うんですね。ただ、先ほど私の最初の陳述で申し上げましたように、どうしても国連というものが国際社会の一つのまとまった姿として人々は考えているわけで、何かまとまった国際社会というのがあるんだという前提で議論が進んでいるから、もしその中で意見の対立があったときに日本はどっちかを選ばなきゃいけないということになるんですね。そうすると、国連の中でのアメリカの立場を日本は支持するのか支持しないのかということを問われているわけでありますので、日米同盟を選ぶと日本が決めた以上は国連政策についての日本の立場もおのずから明らかであるというふうに私は考えます。

○参考人(小川和久君) 大変重要な御質問、ありがとうございました。
 私は、やはり日米同盟か国際協調かという設問そのものがやはり我々自身整理しなければいけない問題ではないかなと思っております。
 私たちは、ややもすると始めに同盟関係ありきという格好ですべてを語る。しかし、それは違うだろう。一つの日本という独立国家が平和と安全、それから繁栄を実現していくためには、同盟関係をいずれの国と結ぶかという同盟関係の選択というのは、これは最初に来るものではないということなんです。
 まずは、独立国家としてどういう形で積み上げていけばそれが実現できるのかということを検討し、一つの外交・安全保障の構想を描き、そこにおいてやはり適切な同盟関係を選んだ方が効果的であろうということでどこかの国を選ぶ、最後に持ってくるような位置付けなんですよ。ですから、設問自体がそういった問い掛けがあることはおかしいという遠山さんの御意見は全く同感でございます。
 ただ、私たちが考えなきゃいけないのは、まず日本国憲法というものが国際主義に立ち、また平和を実現しようということをうたっている、そして九条においては我々が指弾をされている侵略戦争をしないということをうたっている、そういう立場で、やはり世界の平和のために我々はできることにおいて行動しなきゃいけないという立場なんです。
 そういったことを前提にして、憲法の精神を受けて、戦後日本国は二つの旗印を掲げてきた。原理原則と言ってもいいんですが、それが平和主義であり、国連中心主義ですよ。平和主義というのは、日本なりに世界の平和の実現のために努力をし、それに対する世界の評価と信頼が生まれてくることによって日本の安全と繁栄が確かなものになる、国益を追求した考え方でございます。そして、その平和主義を実現するために我々が使おうという仕組みが国際連合という国際機関、これが国連中心主義であります。まずそこから始まって、そして自らの国の安全を高めるために日米同盟を選んでいるんだという考え方に持っていかないとやはり落ち着かないと思うんですね。
 ただ、そうはいっても、アメリカという国は国連の中でも一番、分担金二二%を負っているような大きな立場でございますし、世界のスーパーパワーでございます。この国の影響を受けないで済むということはあり得ない。ただ、アメリカから見て日本という国は一番重要な同盟国でございますので、その立場を自覚してアメリカとの戦略対話を常に進め、日本が掲げてきた平和主義や国連中心主義にふさわしい形で日米同盟の中身を変えていく、その営みがあってもいいだろう。
 私は、一九八九年以来、日米同盟の平和化という言い方をしておりますが、そういった方向をやはり考えていく中では、討論番組などでそういう質問をする司会者も消えていくだろうと思っております。
 どうもありがとうございました。

○遠山清彦君 ありがとうございます。
 続きまして、酒井参考人にお伺いをしたいと思いますが、二点質問ございます。
 私も個人的にイラクは三度訪れておりまして、北部に二回、それから南部のサマワ、昨年神崎代表と行かせていただいたわけですが、一問目は、これは私の全く個人的な素人感覚の印象でありますが、イラクといっても非常に広い、北部と南部ではかなりいろんな相違があるなあと思っております、感じております。
 酒井参考人はもう御専門ですので、歴史的観点、民族的観点、宗教的観点、政治的観点、いろんな観点から違いをお述べになれるというふうに思いますが、私が感じたことは、北部においてはそもそも地元の社会の中のテンションが南部に比べて高いと。つまり、北部ですとクルド人もいる、クルド人の中でも争いがある。それからトルクメン人、トルコ系の方々もいる。それからアルメニア人とか、またイラク人も、当然アラブ系の方もいるわけですけれども、スンニ派、シーア派ということで、そもそも非常に北部は地元社会にテンションがあって、そこに今はアメリカ軍が、また北部は特にアメリカ軍が多いわけですけれども、来て、そのテンションの在り方というのはダブルフォールド、スリーフォールドになっているんじゃないかと。
 他方、南部はシーア派の方が非常に多数を占めておりまして、サマワなんかでも余り、地元の、部族間のテンションというのは当然あるとは思いますけれども、いわゆる北部と比べると非常に南部というのはテンションが低いんではないかということを感じたわけでして、それが、例えば私が現地に行ったときに米軍の将校と話をして、北部では例えばヘリコプターに対する地対空ミサイルの攻撃がかなり頻発をしたけれども、バグダッド以南では一度も起こっていないということも現実としてあるわけでありまして、このことがそれだけで説明できると思いませんけれども、北部と南部の違いといったものをちょっとお話をいただければと思います。
 それからもう一つは、先ほど来ほかの質問者からもありましたが、やはりイラクの復興にとっては治安の安定が大事である、治安の安定のためには武装解除というのが大事であると言われております。ただ、私もイラクに三度行った者として、イラクには自衛の文化というものが非常に根強くあって、もう一家に一丁銃があるのが当たり前と。そのこと自体に何か特別に悪いことだという意識は地元の方ないと私これは思うんですね。
 そうなりますと、治安安定のために武装解除をやらなきゃいけない、こういうことを外の社会で我々がしても、それを実行すること自体が現地の人にとっては非常に阻害される、侵害されるという感覚を持たれるんではないかという懸念を私持っております。
 そういう意味で、この治安の安定のための武装解除とイラクにある自衛の文化、この関係についてコメントいただければと思います。

○参考人(酒井啓子君) 南北の相違、イラクにおける南の社会と北の社会の違いについて簡潔に述べさせていただきます。
 まず、全体として申し上げたいのは、今モスルの御指摘がございました、迫撃砲で攻撃があったりヘリコプターが落とされたりという。モスルは実はこれ、最近矮小的に、矮小されて解釈されておりますスンニ・トライアングルの中に入っております。スンニ・トライアングルといいますのは、基本的にモスルからバグダッド、バークーバ、ラマディといったいわゆるチグリス川、ユーフラテス川に挟まれた、バグダッドから北の三角地帯のことを一般にスンニ・トライアングルと言うんですが、余りにもティクリート辺りの攻撃が激しいものですから非常に小さく考えられておりますけれども、モスルも一応スンニ・トライアングルの一部です。ということは、攻撃が激しいのは北部というよりはむしろこの拡大されたスンニ・トライアングル、モスルを含めた三角州、チグリス・ユーフラテス川の間の三角地帯が一番激しいわけでございます。
 恐らく、先生が行かれました北の地域、クルド地域であるかと思いますけれども、クルド地域は確かにおっしゃるとおり民族的な対立が激しいところでございます。キリスト教徒もおりますし少数民族もおります。ただ、一番そういった問題が集約しておりますのはキルクーク、油田地域のキルクークという町とその周辺に集中しておりまして、むしろそれよりも北になります山岳地域になりましたらばクルド人が優勢でございますので、同じクルド地域であってもかなりテンションの高いところとそうでないところと分かれております。ただ、おっしゃるとおり、これまでの経緯からいえば、南よりも北の方がテンションが高いと、南の方が比較的に低かったということは言えるかと思います。
 ただ、問題はこれからでございます。これからは、南部地域も必ずしもシーア派ということで一つにまとまっているわけではございません。今のところはまずシスターニという最高指導者の下に動いておりますけれども、シーア派の中にも幾つかの派閥がございまして、いわゆる急進派から穏健派までかなりございます。
 例えば、南部の、同じ南部でございましてもいわゆる先ほど御指摘のあったようなメソポタミア湿原の辺りというのは、イランがかつてゲリラ活動をかなり頻繁に入り込んでいた地域でございますので、アマラからクート、失礼、アマラから、そうですね、クート、そしてその湿原地域というのは、いわゆるイラン系のゲリラ活動によって教育された脱走兵によるゲリラ活動というものが、まあ強硬、いわゆる強硬派の拠点であったりいたします。その一方で、ナジャフというところでは穏健派がまあ指導、支配的であるというような、様々な色模様が戦後徐々に徐々に明らかになってきております。
 ですから、これから政権構想、暫定政権を作るという段階までこのシスターニさんを中心とした大同団結の関係が維持できれば安定が続く可能性はございますけれども、これもある意味では一触即発。そうした派閥抗争があらわになれば、北部と同様の権力抗争がかなり激しくなるという危険性もあるというふうに考えた方がよろしいかと思います。
 それから、自衛の文化、イラクにおける自衛の文化ということでございますけれども、確かに部族社会におきましては、地方のですね、地方部の部族社会においては、部族は自分たちで自分たちの社会を武器を持って守るという文化がございます。しかし、都市部におきましては、銃を持ってそれぞれの家庭が自らを守るということは最近の傾向でございます。もっと具体的に言えば湾岸戦争以降でございます。
 湾岸戦争のときに全面的なアメリカの攻撃を予想したイラク軍が、これはもたないかもしれない、政権がもたないかもしれないということで、それぞれの地方に銃を配りまして、イラク軍が守れなかった場合には自ら敵に対して戦うようにということで配った、それによって銃が蔓延したという経緯がございますので、必ずしも、ここ十三年間はそうした銃社会だとは言えますけれども、それ以前は必ずしも銃がそれぞれの家庭で持っているのが当たり前というようなことではなかったと言えると思います。

○遠山清彦君 続きまして、再び小川参考人にお伺いをいたします。
 テレビでも出ていますし国会でも出ていますが、今のイラクを事実上の戦地という表現が日本で今出回っております。私も元々議員やる前に国際政治学の研究をしていた者として申し上げますと、確かにイラクはテロも頻発をしております。強盗、野盗のたぐいも頻発をしている。そして、毎日のように、週によってはアメリカ兵の死傷者の数が報じられるということで、ベトナム戦争のときと同じじゃないかという気持ちを持つ日本人がいるということは私も理解をしておりますが、しかし、戦争というのは、戦地というのは、ある組織がある政治的目的を達成するために存在して、組織的、計画的に日常的に敵に対して攻撃を加えている状況が常態化していないと戦争とは呼べないんではないかというふうに私は思っておりますが、今、小川参考人から見てイラクは戦地と呼べるんでしょうか。

○参考人(小川和久君) 大変難しい御質問をいただきまして私もちょっと困っております。ただ、学問上の定義ということでいいますと、今、遠山さんがおっしゃったとおりでございます。
 ただ、もう一つの角度から私たちは見ておく必要があると思うんですね。それは、今日最初に意見陳述の中で申し上げましたように、イラク全体ということでいいますと、秩序が崩壊している、当然治安が悪い、いわゆる戦場と明らかにみなされる地域だけではなくて、全般的に危険が存在するということでございます。その中で、日本は、国内世論の問題もございますし、いわゆるアメリカ軍、イギリス軍が本格的な武装、武力行使可能な編成、装備で行動している地域は避けた。そこにおいては、私は官僚的な答弁で非戦闘地域なんて分けるのはナンセンスだと思っておりますし、それをやっている官僚機構の皆さんもナンセンスだと思っておりますと、まあ内々言っているんじゃないかと私は思いますけれどもね。
 やっぱり私たちが考えなきゃいけないのは、武力行使可能な編成、装備とはどういうものかということも視野に入れながら、我々が平和実現のための、平和創出のための足場を作る任務を自衛隊に与えるということを考えなきゃいけないという話なんです。
 最初お配りした資料の黒丸の二番目にありますが、やっぱり軍事知識の欠如が議論を混乱させているという印象が非常に強いんですね。これはもう本当に、税金の使い道を通じて自衛隊を健全かつ適正に生かしていこうというマインドに欠けるからシビリアンコントロールを放棄した状況があると言わざるを得ないんですが、その中で、本当に武力行使可能な編成、装備といいますと、この中でRCT、連隊戦闘団という言葉がありますが、これじゃなきゃ駄目なんですよ。これ組まないで、歩兵連隊、普通科連隊と自衛隊で言いますが、それが持っている武器の範囲で何ができるかという話なんですね。ですから、やっぱり陸上自衛隊は今回そこにも行っていないレベルの編成、装備でありますので、やはりそれにふさわしい地域、つまり日本的に言いますと、戦場じゃないところでの活動を行うことになるんだろうと思っております。
 ちょっとお答えにならないような話でございますが、ありがとうございました。

○遠山清彦君 以上でございます。終わります。

※参考人
渡辺昭夫氏(平和・安全保障研究所理事長)
小川和久氏(国際政治・軍事アナリスト)
酒井啓子氏(アジア経済研究所参事)
小田中總樹氏(専修大学教授)

※参議院会議録情報より転載