遠山清彦です。東日本大震災の発災からちょうど1年目を迎えます。この日にあたり、あらためて大震災でお亡くなりになられた方々に、深い哀悼の意を表するとともに、現在も大変な困難の中で暮らしておられる被災者の皆様に、心よりお見舞い申し上げます。

私は、本日午後2時半から国立劇場で開催される政府主催の「東日本大震災一周年追悼式」に参加し、犠牲者の皆様の追悼と、被災地の復興へ、さらに戦う決意を固めたいと思います。

公明党は、昨日、福島県郡山市で「全国県代表者会議」を開催しました。東京以外でこの会議が開かれるのは、48年の党史の中で初めてです。私は、昨年の大震災直後、この会議を福島でやるべき、と主張した一人であるだけに、深い感慨がありました。

会議の登壇者の中に、福島、宮城、岩手、被災3県の代表者もいました。その一人、岩手県本部代表の小野寺県議は、先週末、6回目の三陸入りをした私と陸前高田市庁舎を一緒に再訪した時の話をしました。「津波で破壊されたその市役所の建物は、震災直後に訪れた時と、まったく同じ状態でした。(中略)被災地は、まだ、時計の針が止まったままなのです。」そして、市役所庁舎入り口付近に置かれていた「赤いランドセル」の事に言及しました。

「赤いランドセル」。その言葉を聞いたときに、私の脳裏にその映像が鮮明に浮かびました。私と小野寺県議は、廃墟と化した市役所庁舎前に設置された祭壇で追悼の祈りを捧げたあと、そのすぐ後ろのがれきの山に赤いランドセルが、ポツンと3つ転がっているのに気が付きました。色のないがれきの中で、赤いランドセルはひときわ強く印象に残ったのです。

近づいて見てみると、一つのランドセルが開いていて、持ち主の名前とクラスがはっきり書いてありました。ぼろぼろになった教科書やノートも見えました。涙をこらえて見ている私たちに、地元の人が静かに説明してくれました。

「その赤いランドセルの持ち主の女の子は、津波で亡くなりました。そして、その子の両親も、家族も、全員亡くなってしまったのです。実は、その子のお父さんもお母さんも、市役所の職員でした。家族が全員亡くなってしまったので、遺品を探す人も、このランドセルを引き取る人も、誰もいないのです。」

その説明に私たちは、愕然として、言葉を失いました。「この赤いランドセルが両親の職場であった市役所にある。もしかして、ご家族は最後まで、ここで一緒だったのだろうか。それとも、偶然にここに流れついたのだろうか。誰かがここにランドセルを持ってきたのだろうか――。」私の頭の中を色々な想像がめぐりました。

今や真実を知ることはできません。しかし、ここに赤いランドセルがあることが、何か大きな意味を持つような気がして仕方ありませんでした。うまく表現できませんが、犠牲になったご一家の親子の「愛情」や「思い」が、ここにある、ここに残っている。そんなふうに強く感じたのです。

私は、この「赤いランドセル」を生涯忘れません。そして、「赤いランドセル」に込められた親子の愛情と家族を一瞬で消し去ってしまった大震災のことも。悲嘆や感傷を超えて、「決して忘れない」という事が、私が政治家として、これからも復興のために戦い続ける原動力になってくれると信じています。

まだまだやらねばならないことが、山のようにあります。本格的な東北の復興は、まさにこれからです。しかし、この復興の最大の敵となるものは、最後は私たちの「記憶の風化」ではないかと思うのです。

私が、英国で平和学を研究していた時に、著名なある平和学者がこう言いました。「平和の最大の敵は、戦争の記憶の風化だ」と。大震災の記憶を風化させることなく、復興については、くだらない政争は排除して、これからも東北のために全力で戦い続けることを静かに、そして心深く誓っています。