遠山清彦です。今日から新年度がスタート。3月31日の党首討論、公明党の山口代表の場面が非常に光っていました。舌鋒鋭く、わかりやすく、鳩山政権の問題点を突き、厳しく追及していました。

鳩山総理の答弁は、ほぼ全てピントがずれており、政権は1年を経ずして『末期症状』であることを露呈しています。後ろで討論を聞いている民主党議員の中には、応援のヤジとは裏腹に、呆れている人も多いのではないか、と推察します。

さて、先日、講演会があり、佐賀県多久市を訪れました。多久市には一昨年から何度が訪問していたのですが、いつも時間がなく、同市内の有名な孔子廟を見たことがありませんでした。今回、若干時間があったので、地元の市議にお願いをして見学したのですが、孔子廟以上に感動したのは、その横に併設してあったという多久4代領主多久茂文が創立した学問所『東原庠舎』の話でした。

この学問所は1699年に開所しているので、300年以上の歴史があります。特徴としては、武家の子弟だけでなく、学問を志すやる気のある子どもであれば、町民や農家の子弟も受け入れたという点です。学問所の規則の中には、次のような一文もあります。「一、生徒は成績と年齢によって整列し、良い家柄であるとか年長であるとかということを鼻にかけて身分の低い家の者や年下の者を侮ってはいけない。生徒も決して自惚れて目上の者を犯すということがあってはならない。すべて何事も礼儀を第1にしなければならない。」(東原庠舎規則解釈文から引用)

この学問所は、明治2年まで続いたのですが、その間、実に多くの多彩な人材を輩出しています。幕末に全国的に知られていた教師である草場佩川(くさば・はいせん)もその一人で、この人の弘道館(佐賀藩の学問所)時代の教え子から島義男・江藤新平・大隈重信などの逸材が育っています。

また私が驚いたのは、志田林三郎という人物です。幕末の多久で母子家庭に生まれ、東原庠舎を出て後、東京の工学寮(現東京大学工学部)を首席で卒業。その後、英国スコットランドのグラスゴー大学に官費留学し、物理学の大家ケルビン卿から直接教えを受け、同大学で「最も優秀な生徒」と評されていたのです。グラスゴー大学は、私が創価大学から交換留学した先でもあり、志田林三郎とは同窓ということになり、特に驚きました。地元グラスゴーではケルビン卿は知らない市民がいない程、有名です。

日本に帰国した志田は29歳で東京帝国大学教授に就任、その2年後(明治21年)日本で第1号の工学博士となり、電気工学の父という地位を確立。志田は36歳の若さでこの世を去ってしまいますが、その前に実に驚くべき「予言」を公の場で残していました。工学博士となった年、志田は「電気学会」を創設し、その第1回の通常総会で次のように述べたと記録されています。

「今仮に、一、二の予期するものを挙げれば一条の電線に依り一分時間数百語の速度を以って同時に数通の音信を送受しうるの時も至るべし。音声伝送の法益進み例えば大阪長崎は言うに及ばず、上海香港のごとき数百里外の地において演ずる所の唱歌音楽などを座しながら東京において聴聞するの快楽に遭遇するもまさに近きにあるべし」。

少々難しいですが、要するに、志田は、今から100年以上前に「高速多重通信」「長距離無線通信」「海外放送受信」など現代のIT社会の到来をかなり正確に予知していたことになります。志田がもっと長生きであったなら、どれほどの科学的貢献を日本社会にしただろうかと思います。

佐賀県多久市からこのような逸材が出ていることを、私は恥ずかしながら知りませんでした。それにしても、東原庠舎のことを学び感じたことは、人材育成の大切さです。どんな環境に生まれようが、学問への志を強く持つ子どもに対しては、素晴らしい教育環境の下で学ばせてあげたいものです。

日本の現代教育の在り方を多久市で見直しました。