遠山清彦です。テレビで見る民主党主導の新政権は、斬新なイメージがあり、それが高い支持率につながっていると思います。しかし、そのイメージと全く合わない発言と行動を繰り返しているのが、民主党を仕切っている小沢幹事長で、そのことに同党内でほとんど批判らしい批判がないことも、不気味です。

今月10日に、小沢幹事長はキリスト教を「排他的」「独善的」と決めつける発言をし、その後も訂正しておりません。日本キリスト教連合会という団体が抗議文を送り、「キリスト教に対する一面的理解に基づく、それこそ『排他的』で『独善的』な発言」と批判していますが、全くその通りだと思います。

欧米では、政権与党の重鎮がこのような発言をすることは、大きな世論の反発を招きます。私は体験的に知っていますが、20年以上前から欧米社会では「インターフェイス(異宗教間対話)運動」が活発に行われており、キリスト教、イスラム教や仏教等の信徒が互いの信仰を尊重するとともに、教義上の違いは違いとして、平和な社会を構築する方向性で一致してきました。小沢氏の発言は、このような社会の流れに対して自身が無知であることをさらけ出したのみならず、日本において無用な宗教間対立をあおりかねないものであり、看過できません。

また、私が九州・沖縄の地方自治体を回っていると、民主党が地方の陳情を小沢氏の「幹事長室」に集約しようとしていることに、戸惑いの声が強くあることを感じています。民主党は、地方自治体の首長たちが直接政府官庁に陳情することを原則禁止とし、各地域の民主党県本部が陳情を集め、それを幹事長室が集約した上で、優先順位をつけて各省庁の政務3役に伝達するという方式を提示し、実行に移しつつあります。

しかし、各地域の民主党の対応はばらばらであり、かつ地方議員の数や党職員の数が不足して陳情対応がまともにできないところもあるのが現実です。さらに、地方で集められた陳情をどれほど効率よく幹事長室でさばくのか、どんな基準で優先順位を決めるのか、ただでさえ「政治主導」で忙殺されている政務3役が迅速に地方の陳情に対応できるか、等の重要な点が一切不明のまま事が進んでいます。

要するに、小沢幹事長が言っているのは、「俺のところで全部決める」ということであり、言いかえれば、「民主党幹事長が『よし』と言わなければ、どんな陳情も通らない」ということです。この小沢氏の言動をみていると、まさに絶頂期の自民党政治の再来です。さながら田中角栄氏が東京都内の私邸で全国の陳情団を受け付けていたイメージと重なります。民主党の罪は、日本の国民に自民党政治の否定を訴えながら政権を取り、しかし、やっていることはまさに「古い」自民党政治そのものだ、ということではないでしょうか。

中堅・若手の民主党議員も、この状況をよしとしているのでしょうか?このままでは、彼らは国会における単なる「採決要員」に過ぎず、どこかの独裁国家の政治家たちのように、自分たちのリーダーが話すたびに手をたたく「拍手要員」になりさがるだけではないでしょうか。私は、民主党政権が行っている全てを否定するつもりはありませんが、小沢氏の言動に見え隠れする独善主義が増長した先に、明るい日本の未来があるとは到底思えないことだけは、はっきり断言しておきたいと思います。