遠山清彦 世界を駆ける。現場を走る。

安全保障

     

11月24日に、今年2回目の衆院憲法審査会が開催され、私も自由討議の時間帯で約5分発言しました。「昨年成立した平和安全法制が立憲主義に反している」という誤った主張に正面から反論しました。

<衆議院憲法審査会(H28.11.24)自由討議発言>

前回と今回の会議において、昨年成立した平和安全法制と憲法および立憲主義との関係が話題になっておりますので、私からも、一言、意見表明を行います。

【憲法9条と憲法解釈の基本姿勢】
憲法9条は、1項で「戦争の放棄」を定め、2項で「戦力の不保持」と「交戦権の否認」を定めています。その文言からすると、憲法9条は、国際関係における「武力の行使」を一切禁じているようにも見えます。

しかし、憲法を始めとする法の解釈というものは、およそ、一部の条文だけを切り取って行えばよいようなものではなく、その全体構造の中で整合的な解釈を追求することが求められるもの、と理解しています。

【47年見解の論理~基本的な論理とあてはめ~】
昭和47年に参議院決算委員会に提出された政府見解、いわゆる「47年見解」では、このような体系的な法の解釈という観点から、憲法9条の下での「武力行使」の可否とその限界について、一般論の提示に当たる「基本的な論理」とこれを具体的な状況に「あてはめ」た記述とを截然と整理しながら、見事な定式化を行っています。

まず「基本的な論理」では、憲法前文の平和的生存権や13条の幸福追求権の趣旨をも踏まえれば「平和主義を具体化した9条も、外国の武力攻撃によって我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるという急迫不正の事態、そのような極限的な場合においては、我が国と国民を守るためのやむを得ない必要最小限度の武力の行使をすることまでをも禁じているとは解されない」旨を述べています。

その上で、「そうだとすれば」という接続語を用いて当時の国際環境への「あてはめ」の論述に入り、「我が憲法の下で武力行使を行うことが許されるのは、我が国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られる(中略)したがって、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されない」と述べて、「当時考えられていた、他国防衛を目的とするような集団的自衛権」を念頭に、「いわゆるフルセットの集団的自衛権」を否定しているのです。

【平和安全法制の合憲性】
その後、弾道ミサイルや核の開発が進み、軍事技術も飛躍的に高度化するなど、我が国を巡る安全保障環境は厳しさを増してきました。このような安全保障環境の変化と、我が国の安全保障に日米防衛協力体制が中核的な役割を果たしていることを踏まえれば、未だ我が国に対する武力攻撃に至っていない状況でも「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険」が発生することもあり得るとの認識に至ったのです。

すなわち、「47年見解」の「基本的な論理」を維持した上で、それを現在の安全保障環境に「あてはめ」た結果、このような極めて限定的な事態に対応するための「自国防衛を目的とする集団的自衛権」の行使を認めることは、憲法前文や13条の趣旨を踏まえた憲法9条に反するものではない、と位置付けたものなのであります。

【平和安全法制と近代立憲主義】
ところで、平和安全法制について、「憲法違反」というのではなくて「立憲主義に反する」とか「非立憲的」などという批判を、しばしば耳にします。

「憲法に適合するにもかかわらず、立憲主義に反する」という論理が成り立つかはさておき、そもそも、国民の権利・自由を守ることが「近代立憲主義」の本質という観点からいたしますと、国民の生命・自由・幸福追求の権利をいかに守るかという観点から制定された平和安全法制は、「立憲主義違反」どころか、まさに「立憲主義」を具現化したものと評価されるべきもの、と考えます。

「国民の生命と財産を守る」。遠山清彦の安全保障への取り組みをまとめました。

「平和安全法制が立憲主義に反する」という主張に反論する

11月24日に、今年2回目の衆院憲法審査会が開催され、私も自由討議の時間帯で約5分発言しました。「昨年成立した平和安全法制が立憲主義に反している」という誤った主張に正面から反論しました。

<衆議院憲法審査会(H28.11.24)自由討議発言>

前回と今回の会議において、昨年成立した平和安全法制と憲法および立憲主義との関係が話題になっておりますので、私からも、一言、意見表明を行います。

【憲法9条と憲法解釈の基本姿勢】
憲法9条は、1項で「戦争の放棄」を定め、2項で「戦力の不保持」と「交戦権の否認」を定めています。その文言からすると、憲法9条は、国際関係における「武力の行使」を一切禁じているようにも見えます。

しかし、憲法を始めとする法の解釈というものは、およそ、一部の条文だけを切り取って行えばよいようなものではなく、その全体構造の中で整合的な解釈を追求することが求められるもの、と理解しています。

【47年見解の論理~基本的な論理とあてはめ~】
昭和47年に参議院決算委員会に提出された政府見解、いわゆる「47年見解」では、このような体系的な法の解釈という観点から、憲法9条の下での「武力行使」の可否とその限界について、一般論の提示に当たる「基本的な論理」とこれを具体的な状況に「あてはめ」た記述とを截然と整理しながら、見事な定式化を行っています。

まず「基本的な論理」では、憲法前文の平和的生存権や13条の幸福追求権の趣旨をも踏まえれば「平和主義を具体化した9条も、外国の武力攻撃によって我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるという急迫不正の事態、そのような極限的な場合においては、我が国と国民を守るためのやむを得ない必要最小限度の武力の行使をすることまでをも禁じているとは解されない」旨を述べています。

その上で、「そうだとすれば」という接続語を用いて当時の国際環境への「あてはめ」の論述に入り、「我が憲法の下で武力行使を行うことが許されるのは、我が国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られる(中略)したがって、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されない」と述べて、「当時考えられていた、他国防衛を目的とするような集団的自衛権」を念頭に、「いわゆるフルセットの集団的自衛権」を否定しているのです。

【平和安全法制の合憲性】
その後、弾道ミサイルや核の開発が進み、軍事技術も飛躍的に高度化するなど、我が国を巡る安全保障環境は厳しさを増してきました。このような安全保障環境の変化と、我が国の安全保障に日米防衛協力体制が中核的な役割を果たしていることを踏まえれば、未だ我が国に対する武力攻撃に至っていない状況でも「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険」が発生することもあり得るとの認識に至ったのです。

すなわち、「47年見解」の「基本的な論理」を維持した上で、それを現在の安全保障環境に「あてはめ」た結果、このような極めて限定的な事態に対応するための「自国防衛を目的とする集団的自衛権」の行使を認めることは、憲法前文や13条の趣旨を踏まえた憲法9条に反するものではない、と位置付けたものなのであります。

【平和安全法制と近代立憲主義】
ところで、平和安全法制について、「憲法違反」というのではなくて「立憲主義に反する」とか「非立憲的」などという批判を、しばしば耳にします。

「憲法に適合するにもかかわらず、立憲主義に反する」という論理が成り立つかはさておき、そもそも、国民の権利・自由を守ることが「近代立憲主義」の本質という観点からいたしますと、国民の生命・自由・幸福追求の権利をいかに守るかという観点から制定された平和安全法制は、「立憲主義違反」どころか、まさに「立憲主義」を具現化したものと評価されるべきもの、と考えます。

2016年11月25日デイリーメッセージ 国会質疑 安全保障 志力の政治 遠山清彦を知る

平和安全法制について

遠山清彦です。平和安全法制について、九州沖縄をはじめ、全国を回って語っています。改めて、この法制について基本的な事を確認したいと思います。

大前提として、今回の法制で「専守防衛」は一切変えていません。専守防衛とは、「日本はもっぱら守るだけの国」ということです。よって、自衛隊の防衛出動は、日本国民の生命、自由、権利に死活的影響が及ぶ危険が明白で、政府と国会が共にその判断を共有した時にしか発令されません。

「戦争法案」という批判は、全く的外れです。戦争=武力行使は、今や国連憲章=国際法で禁じられています。戦争すること自体が、法律違反であり、日本が戦争をするわけがないのです。平和安全法制は、国際法のルールを破り、日本を攻撃する国などが出てきた時に、国民の生命権利をどうやって守るのか、万が一の対応について法律で定めたものに他なりません。

他国防衛は認めない

万が一、自衛隊が自衛権に基づき防衛出動する場合であっても、国会の承認は、不可欠です。これは明確に定められています。国会の承認が必要ということは、防衛出動について、政府とともに、国民の代表である国会も責任を共有する事になります。政府の勝手な判断だけではできません。

自衛隊の存在そのものを憲法違反と言っている人たちに、平和安全法制について聞いても、憲法違反と答えるのは当たり前のこと。豆腐が嫌いな人に厚揚げを勧めて断わられるのと同じです。そうした反対論は論外としても、今回の法制では、国際法上の「他国防衛を目的とした集団的自衛権」行使を認めたのではない、ということを丁寧に説明することが重要です。

憲法解釈を変えていない

日本は、国連加盟国として、国際法で認められた集団的自衛権は、権利としては持っています。しかし、この他国防衛を目的とする集団的自衛権の行使は、「自国防衛のための武力行使のみを例外として、それ以外は認めない」という、日本の憲法解釈で否定されてきました。この点は、今回の法制でも全く変えていません。自衛隊が武力行使を行えるのは、自衛の措置としてだけです。

日本は、そして自衛隊は、自ら武力行使はしません。あくまでも、日本の存立や国民の権利を脅かす明白な危機に対応するだけです。さらに言えば、自衛隊は法律に「やって良い」と書いてあることしかできないポジティブリストの組織です。法律に書いてないことを「これもできる。あれもできるようになる」という野党の主張は、的外れで根拠がありません。

国会承認なければ派遣できない

自衛隊の装備は、防御的なものに限られています。新3要件の3番目の「必要最小限の実力を行使する」とは、仮に自衛隊が防衛出動をしても、日本を防衛するために必要な最小限の武力の行使しかできない、という意味です。日本に対する武力行使が終われば、自衛隊の武力行使もそこで終わります。

自衛隊の後方支援活動は、国連PKOなどと同様に戦闘を目的としません。戦闘に巻き込まれる可能性があれば、派遣そのものをしません。巻き込まれる事を前提とする議論は、最初のボタンが掛け違っています。日本の防衛に関わる「重要影響事態」の派遣は、国会の事前承認が原則です。国際社会の平和を実現するため、各国が共同で対処する「国際平和共同対処事態」の派遣は、例外なき事前承認となっています。いずれも国会承認が必須であり、その時の政府が、勝手な判断で派遣する余地は全くありません。

2015年09月10日デイリーメッセージ 安全保障 遠山清彦を知る

平和安全法制関連法案に対する討論(衆議院本会議)

私は、公明党を代表し、ただいま議題となりました政府提出の平和安全法制関連2法案に対し賛成、維新の党提出の2法案に対し反対の立場から討論いたします。

日本は戦後70年間、多くの犠牲を内外で出した先の大戦への痛切な反省を踏まえ、憲法の平和主義の原則の下、自国防衛のための専守防衛を貫き、他国に脅威を与える軍事国家とはならず、非核三原則を守るとの基本方針を堅持してまいりました。この平和国家路線は、今回の平和安全法制で何ら変わるわけではありません。

また、「国際社会の平和あってこその日本の平和である」との立場から、23年前より国連平和維持活動に自衛隊を派遣するとともに、海外での大規模災害発生時の国際緊急援助活動、ソマリア沖・アデン湾における海賊対処行動等にも自衛隊を派遣し、日本にふさわしい形での国際貢献を行ってまいりました。

特筆すべきは、この間、任務中の自衛官の死亡者はゼロであり、また自衛官により殺傷された者の数もまたゼロであります。これを「偶然だ」などと言う人がおりますが、見当違いも甚だしい謬見であります。これは、日本の歴代政権がPKO参加5原則の適用など法制面と運用面においてリスク極小化に努めてきた証左であり、またそれ以上に、派遣された自衛官の高い練度とリスク管理に対する強い責任感の賜物であります。

今回の平和安全法制において自衛隊の任務が一部拡大されている背景には、この国際社会から高い評価を得ている自衛隊の国際貢献のこれまでの実績があることを、是非、国民の皆様にご理解をいただきたいと思います。

昨年7月1日の閣議決定は、公明党も参加した与党協議において、一層厳しさを増す現在の日本を取り巻く国際安全保障環境を踏まえ、憲法9条の下に許容される自衛の措置の限界を整理し、新3要件としてこれを明示しました。いかなる事態であっても、新3要件すべてに合致しなければ、自衛の措置は発動されません。

新3要件に合致する事態の一部は、存立危機事態であり、これは「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生」していることを契機とするため、国際法上、集団的自衛権を根拠とする場合があります。しかし、それに続く部分、すなわち、「これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合」とは、自国の防衛に目的を限定したものであり、昭和47年見解で示された従来の憲法解釈の基本的論理の枠の中にあることは、明らかであります。

政府が再三再四答弁されているように、本法案成立後も、国連憲章において国連加盟各国に行使がみとめられているのと同様の、いわゆるフルサイズの集団的自衛権の行使が、憲法上許されるわけではありません。

また、事態の認定等において、政府が恣意的な判断・運用ができないような歯止めも存在します。存立危機事態の「明白な危険」の判断基準としては、攻撃国の意思・能力、事態の発生場所、事態の規模・態様・推移、日本に戦禍が及ぶ蓋然性、国民がこうむる犠牲の深刻性と重大性、の5要素が国会質疑で明示され、政府はこれらを総合的に考慮して判断を示さなければなりません。存立危機事態とは、横畠法制局長官の答弁にあるように、「日本が直接武力攻撃を受けた時と同様な深刻かつ重大な被害が及ぶことが明らかな場合」に認定されることになります。

こうした政府が武力攻撃事態等や存立危機事態を認定する前提となる事実は、原則的に国会の事前承認にかけられる「対処基本方針」に記載され、万一、武力行使をする場合も「国民を守るため」に他に適当な手段がないことを明記することが義務付けられました。重要影響事態や国際共同対処事態における後方支援活動についても、認定事実が基本計画に明確に記載され国会が判断できる仕組みになっております。

すなわち、公明党が3原則のひとつとして強調してきた「民主的統制」としての国会の事前承認の原則は確保されており、かつ、政府は国会の判断の基礎となる十分な情報開示・情報提供をすることが義務付けられているのであります。

最後に、一言申し上げます。憲法の下に、国民の生命、自由及び幸福追求の権利を守る責任は、政府だけにあるわけではありません。議会制民主主義の日本においては、国会もその責任を共有しているのであります。日本の安全保障を確保し、そして国際平和のための外交的努力においては、与党野党を超えて、私たち国会議員全員が自覚と責任を持つべきである、と申し上げ、私の討論を終わります。

2015年07月16日デイリーメッセージ 国会質疑 安全保障

我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会 埼玉参考人会速記録(平成 27年7月6日・議事速報)

7月6日に行われた安保法制特別委員会の埼玉公聴会での、細谷雄一・慶応大学教授の意見陳述を転載します。

我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会 埼玉参考人会速記録(平成 27年7月6日・議事速報)

○細谷参考人 私は、専門が外交史でございます。外交史、そして現代の安全保障について研究をする国際政治学者でございます。そのような外交史あるいは国際政治学者の観点から、今回の平和安保法制についてのみずからの見解を述べさせていただきたいと思います。

これまでの審議では主に憲法学者の方々あるいは法律学者の方々がこの法案についてさまざまな御意見を述べていらっしゃいました。しかしながら、この審議の中で、必ずしも、国際政治学者あるいは外交史研究者がこの問題について触れる機会はほとんどなかったような気がいたします。

もちろん法律的な議論は重要ですが、より重要なのは、この法案によってどうなるのか、日本がより安全になるのか、国際社会がより平和になるのか、これこそが本来であれば議論すべきところであろうというふうに私は感じております。

ところが、政府の説明、あるいはそれに反対する、批判する側の立場も、あるいは法律学者の方々も、余りにも技術的なところにこだわって、その全体像、この平和安全保障法制が一体どういう効果を持って、どういう意味があるのかということについての十分な検討がこれまでなされてこなかったような気がいたします。

そういった点からしましても、私は、過去三百年間のヨーロッパの外交の歴史を学生の前でお話をして、そして、どのようなときに平和が崩れて、どのようなときに平和が維持されるのか、そのようなことを研究してきた立場から、今回の平和安保法制がなぜ必要なのかということについて、私の立場から申し上げたいと考えております。

まず最初に、平和主義、日本が戦後、平和国家としての道のりを歩んできたということは何人も否定できないことだろうと思います。今では、首相官邸の周りあるいは国会の周辺で多くの方々が、戦争を再びする国になるな、平和を守れというような運動をしていらっしゃいます。そして、日本が再び戦争に巻き込まれ、また、戦争する国になるのではないかという懸念の声が聞こえてきます。

私は、これらの声、主張にほぼ意見を一致しております。つまり、日本は平和国家としての立場を守るべきであって、また、戦争するような国になるべきではないというのが私の立場でございます。

しかしながら、重要なのは、どうしたら平和を維持できるのか、そして、どうしたら戦争が起こらないのかということでございます。

これだけ根深く平和主義というものが日本の国民に浸透している以上、私は、日本がみずから侵略をし、戦争をするような国になるとは全く思っていません。ほとんどの国民の方々も、日本が軍国主義になって、戦争をしたいような国になるとは思っていないと思います。そのような利益もなければ、理由もありません。

したがって、多くの方々、国民の方々あるいは政治家の方々も、平和国家としての理念というのを堅持すべきだというふうにお考えでいらっしゃると思います。

だとすれば、戦争が起きるとすれば、日本から戦争を仕掛けるということは考えられないわけですね。つまり、相手が日本を侵略するか、相手が日本を攻撃するかどうかということが重要な要素になるわけです。

したがって、今回の安保法制も、日本が戦争するかどうかではなくて、いかにして他国が日本に侵略をしないようにさせるか、あるいは国際社会で戦争が起きないようにするかということでございます。

例えば、憲法九条があったとしても、イスラム国あるいはロシアからの武装勢力は中東やあるいはウクライナで軍事攻撃をしているわけでございます。つまり、憲法九条というものが、日本が平和の理念を掲げたとしても、それ自体が中東やアフリカやヨーロッパにおける戦争というものを防ぐことには直接的にはつながらない。

では、どうしたら戦争を防げるのか、どうしたら戦争が起こらない世界をつくることができるのか、これこそが我々が考えるべきことではないでしょうか。

マックス・ウェーバーが「職業としての政治」という本を書いております。ここにも読まれた方もたくさんいらっしゃると思います。そのマックス・ウェーバーは、政治における倫理には二種類あるということを述べているわけですね。つまりは、心情倫理と責任倫理です。戦争を嫌って平和を愛するというのは、これは心情倫理です。もちろん、政治において心情倫理が価値がないわけでありません。とうとい価値を持っています。問題は、政治家の方々にとってより重要なのは、これはマックス・ウェーバーがこの「職業としての政治」で書いていることですが、責任倫理です。つまり、ただ単に平和が起きないということを願い、叫ぶだけではなくて、本当に戦争が起きない、あるいは侵略をさせないような十分な安全保障政策を展開し、また安保法制をつくっていく、これこそが政治家に課せられた義務ではないでしょうか。

平和を願うだけで平和ができるのであれば、なぜ、これほどまで多くの戦争が世界にあるんでしょうか。それは、戦争を防ぐことができない、平和を維持することができなかったからでございます。

マックス・ウェーバーはさらに、「職業としての政治」という本の中で次のように述べております。「この世のどんな倫理といえども次のような事実、すなわち、「善い」目的を達成するには、まずたいていは、道徳的にいかがわしい手段、少なくとも危険な手段を用いなければならず、悪い副作用の可能性や蓋然性まで覚悟してかからなければならないという事実、を回避するわけにいかない。」つまり、たとえ今回の安保法制がいかがわしい手段、あるいは危険な手段だったとしても、このような手段を用いて、よい目的、つまりは、平和を維持し、日本の安全を維持するのであれば、そのこと自体が、政治家が本来考えるべき責任倫理であるということをマックス・ウェーバーは述べているわけです。

さらに、マックス・ウェーバーは、続けて次のように書いております。「この世がデーモンに支配されていること。そして政治にタッチする人間、すなわち手段としての権力と暴力性とに関係をもった者は悪魔の力と契約を結ぶものであること。

さらに善からは善のみが、悪からは悪のみが生まれるというのは、人間の行為にとって決して真実ではなく、しばしばその逆が真実であること。これらのことは古代のキリスト教徒でも非常によく知っていた。これが見抜けないような人間は、政治のイロハもわきまえない未熟児である。」ということですね。

つまり、善から善が生まれるなどということは、ウェーバーによれば、それは政治のイロハも知らない未熟児である、つまり、善を生む、この場合は平和ですね、平和を生むためには、場合によっては軍事力が必要である、十分な軍事力で自分たちの国を守るという意思を持って初めて、他国が侵略してこなくなるわけです。そのような軍事力が悪であったとしても、ウェーバーは、悪魔の力と契約を結んで善なる目的、つまりは、平和を維持し、安全を維持するということをするべきであるということを書いているわけでございます。

さて、平和についてただいま申し上げさせていただきましたが、続いて国際協調主義、つまり、今議論されているのは専ら平和主義の理念ですが、日本が戦後、平和国家として道のりを歩む上で、平和憲法の中には、国際協調主義、つまり、平和というものを、孤立主義、一国平和主義ではなくて、あるいは独善ではなくて、国際協調によって導くべきである、これが日本国憲法にある国際協調主義の精神であるわけでございます。

これは、言うまでもなく、戦前の日本が国際社会、国際法を無視して侵略をし、そして国際連盟から脱退して国際社会で孤立する中から戦争の道を歩んだ、このことからの反省によって、日本は国際協調主義の精神を掲げたわけでございます。

日本国憲法の中には、次のように前文で書いてあります。「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。」つまり、このような国際協調主義の精神は、実は、一九五〇年代、六〇年代までには日本の国民に深く浸透していました。

したがって、砂川事件の判決の中で、田中耕太郎最高裁長官は、補足意見として次のように述べています。「今日はもはや厳格な意味での自衛の観念は存在せず、自衛はすなわち「他衛」、他衛はすなわち自衛という関係があるのみである。従つて自国の防衛にしろ、他国の防衛への協力にしろ、各国はこれについて義務を負担しているものと認められるのである。」ここで田中耕太郎長官は「義務」という言葉を使って、このことを憲法前文の国際協調主義の精神と述べているわけですね。これがいつの間にか消えてしまったわけです。日本は日本のことだけを考えて、他国が侵略されようが、他国が攻撃されようが、他国が助けを求めようが、それを断固として無視しているわけですね。助けに行かない、協力をしない、自国さえ平和であれば何でもいい、これが、ある意味では個別的自衛権であって、そして国際安全保障の無視ということになるわけですね。

これは、安全保障だけではありません。かつて世界最大のODA大国であった日本は、今や一人当たりの、GNI当たりのODA支出は、OECD加盟国の二十八カ国中の十八位です。また、国連ミッションへの派遣数も世界で五十五位です。とてもではないですが、これで、世界において、「国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」などということは言うことはできません。

つまり、今の我々が考えるべきは、憲法の精神、本来あった憲法の平和主義の精神と国際協調主義の精神をいかにして融合するか、それを融合することによって、我々は、国際安全保障、つまり、自国のことのみを考え他国を無視するのではなくて、国際社会全体としていかにして戦争を起こさないか、平和を確保しなければいけないかということを論じるべきであると思います。つまり、軍事力は軍事力それ自体が悪なのではなくて、軍事
力はよい目的のためにも使うことができる、つまり、軍事力は人の命も奪うことができるし、人の命も救うことができる。

したがって、自衛隊が人の命を守るために行動するのであれば、国際平和協力任務を今後より一層活発に活用していくということは、これは、むしろ日本国憲法の精神に沿っているのではないかなというふうに思っております。

例えば、二〇一一年三月の東日本大震災でも自衛隊が多くの方々の命を救済しました。また、日本だけではありません、二〇〇八年五月には、四川の大地震の後には多くの中国人の人命を救済しました。また、二〇一〇年、民主党政権では、ハイチに自衛隊を派遣し、これはPKO五原則からすれば本来行ける任務ではなかったかもしれない、しかしながら、人道性を優先して、民主党は、このハイチの大地震において自衛隊を派遣して多くの人たちの人命を救済したわけです。

たとえ自衛隊が海外に派遣しようとも、それが人命を救済するためであれば、私はとうとい任務であると考えています。そのことがむしろ、七十年前に戦争をし、国際社会で批判をされた日本が信頼を取り戻す大きなきっかけになったと考えております。

ところが、かつては、例えば、一九九一年、海上自衛隊がペルシャ湾に派遣するときにも、九二年にカンボジアにPKO任務に行くときにも、あるいはその後、先ほど申し上げたようなハイチのPKOもそうですが、自衛隊が二〇〇四年からイラクに派遣されるときにも、多くの方々は、これによって日本国憲法の平和主義の精神が崩れると言ったわけですね。もしもそれによって崩れているのであれば、もう平和主義はないはずです。守るべき平和主義はないはず。

ですが、そのとき多くの方々が反対したこのカンボジアやあるいはペルシャ湾での任務が、必ずしも日本国憲法の平和主義の精神を壊さなかったわけですね。むしろ国際社会の信頼を回復したわけです。

もしもそのときに反対している方々がここにいらっしゃったら、なぜそれらの法案を廃案することを優先しないのか。つまり、多くの方々にとって、これらの法案に反対したということが間違いであって、むしろ、それらが多くの人命を救済し、そして、国際社会における日本の信頼を回復したということを無意識のうちに理解しているからではないでしょうか。

そのように考えたときには、軍事力を平和のために使う、よい目的のために使って、そして、それによって人命を救済するということが重要になってくるわけでございます。

このような国際安全保障、つまりはそれぞれの国が別々に自分の国を守るのではなくて、国際社会全体として最適の形で平和を守る、これが二十世紀の大きな潮流であり、そして、戦前の、戦争の、日本の反省の結果であったわけです。

ところが、このような国際安全保障を無視して、国際安全保障というのは基本的に集団安全保障と集団的自衛権、集団防衛を指します、この二つを無視して、どこまでも個別的自衛権、つまり、自国の国民の生命を守る以外のことは何もするなということが、本来あるべき二十世紀の大きな歴史の教訓から考えれば、明らかにこれはおかしなことではないでしょうか。

また、戦間期において、国際連盟では、世論と経済制裁だけで平和を実現しようとしました。ところが、この世論と経済制裁だけによる平和を求める運動というものが、活動というものが、結局は、日本軍による満州事変、イタリア軍によるエチオピア侵略、そしてナチス・ドイツによるポーランド侵略をとめることができなかったわけです。

それを見て、国際連盟創設の中心人物であったイギリスのセシル卿政治学者は次のように述べています。

私は、非難や訴え、あるいは国際世論の力だけで平和を維持するという希望は全て捨てた、これらの力は、国際問題に関して大きな影響力を持ってはいるが、かつて強力な国家が決意した戦争を阻止することに成功したためしはなかった。

この反省から、国際連合憲章では、五十一条で集団的自衛権、そして国連憲章第七章で軍事的な経済制裁措置を加えています。つまりは、平和を守るためには集団防衛、集団安全保障が重要であるということでございます。

ベルギーは、かつて中立を掲げ、そしてドイツの、周辺国の善意のみを信じ、外交だけに頼って、軍事力に頼らず外交だけに頼ってみずからの平和を維持しようとしました。ところが、二度の世界大戦で、どちらもベルギーは真っ先にドイツの侵略を受けたわけです。

したがって、戦後に最初にできた集団防衛、集団的自衛権の組織であるブリュッセル条約をつくった中心的な国はベルギーです。この二度の反省から、中立や他国の善意だけでは自分の安全は守れない、したがって、ベルギーは、集団的自衛権を用いたブリュッセル条約の創設、さらにはNATOの創設で中心的な役割を果たしたわけでございます。

最後に、それでは、なぜ今このような形で集団的自衛権の行使あるいは平和安保法制が必要なのか、その最大の理由は、先ほど私は国際安全保障ということを申し上げましたが、二十世紀になってから急速に変化する安全保障環境の中で、従来の陸海空だけを考えていた安全保障が、さらにはサイバー空間や宇宙空間が入ってきたわけですね。そうすると、もはや地理的な概念というのも意味を持たない。サイバー空間によって、どこが周辺なのかということを述べることは極めて困難なわけでございます。

さらには、かつての冷戦時代とは異なって、大規模な侵略ではなくて、むしろ戦時と平時の区別がつかないような曖昧な状況が起きている。そのような曖昧な状況に対処するためには、従来の安全保障法制では十分ではないわけでございます。

そして、さらに言えば、RMA、軍事における革命によって、各国の防衛がネットワークでつながれてきています。つまり、従来とは異なり、一国で完結していたような軍事技術ではなくて、多国間協力の中でネットワークでつながれるような安全保障、国際安全保障が成立しているわけです。

果たして、日本はそれに背中を向けて、そこから孤立して、一国だけで自分の安全を守るという道を進むべきなのでしょうか。あるいは、今回の平和安保法制が語るように、一国平和主義ではなくて、国際社会の中で協調して、より緊密な協調をして安全保障を担っていくべきか。

その国際社会における緊密な協調を実現する上では、従来の安全保障法制では十分ではないということが大きな課題であって、したがって、私は、そのような二十世紀の歴史の教訓から、日本一国ではなくて、国際社会の中で協調行動をとって日本が安全保障を考えていく上では、今回の平和安保法制というものが非常に重要な意味を持つというふうに考えております。

以上でございます。(拍手)

2015年07月06日デイリーメッセージ 安全保障

我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会 参考人質疑(平成27年6月22日・議事速報)

衆議院我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会速記録(議事速報)

○遠山委員 公明党の遠山清彦でございます。五人の参考人の先生方、きょうは大変貴重な御意見、ありがとうございました。

私も、昨年から一年間、昨年の閣議決定、そして今般の平和安全法制の整備のたたき台をつくった与党の安保協議の一員として、先生方の御意見を伺いまして、大変共感する部分もございましたし、また、一部、私どもが考えたことと違うところがございましたので、それを整理するためにも貴重な機会だと思いましたので、お話を聞かせていただきたいと思います。

まず、森本参考人に伺いたいと思います。

民主党政権時代に防衛大臣を経験されたお立場から、二つのことを簡潔にお答えいただきたいと思うんですが、まず一つは、切れ目のない安保法制の必要性について、これは参考人の皆様のお話の中にもありましたけれども、なぜ今必要なのか。

それから、この後、私、ちょっと質問させていただきますが、論理的な帰結の部分である結論のところを、昭和四十七年見解ですけれども変えた。変えたのは、基本的論理ではなくて事実認識を変えたのだ、こういう立場を私どもはとっているわけでありますから、当然にこの事実認識に当たる部分、つまり、日本が置かれている安全保障環境がどのように変化をしたのか、これは変化といった場合には、質的な変化、量的な変化、そしてまた脅威というものの定義というものが時代の流れの中で変わってくると思うんですね。

私がイギリスの大学院で学んでいるときには、脅威というのは、潜在的に我が国の敵になり得る国の攻撃の意思と、そして実際に遂行する攻撃の能力、基本的には、意思と能力を正確に分析するところから脅威というものを算定するのであるということを、二十年前ですけれども、私は大学院で教わりました。

しかしながら、今は、この脅威の定義自体が変容しているわけですね。これはもう私の目の前にお座りの先生方はみんなおわかりだと思います。攻撃の意思とか能力をはかれないような主体によって我が国が攻撃を受ける可能性がありますし、その攻撃の手段も多様化しているわけです。

ですから、我が国ではそういう議論は余りまだ成熟しておりませんが、米国などでは、サイバー戦というものを第五の戦場と位置づけて、武力攻撃の対象にも公式に入れているというところまで来ております。

そういったことも踏まえまして、改めて、森本参考人から、日本が置かれた安全保障環境というのは今どうなっているのかということについてお聞きしたい。

それから、あわせて、当委員会の今までの審議を聞いておりますと、日米安保協力の重要性ということについての議論が少し不足しているのかなと私は感じております。やはり日本を守っていく、これは当然に一義的には日本政府の責務でございますが、同時に、この戦後の国際環境を考えたときに、やはり日米安保というものが一つの中核になって日本の安全を確保していかなければならないという観点から、日米安保協力体制の重要性、今日的な文脈の中でどうなっているのか、この二点についてお答えをいただきたいと思います。

○森本参考人 現在の我が国を取り巻く客観的な安全保障環境の変化をどのように説明するのかというのは、切り口が幾つかあると思うのですけれども、過去百年ぐらいの歴史を振り返ると、二十世紀はまさに戦争の世紀でした。第一次、第二次大戦、それから、後半は朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争。しかし、悪かったことだけではなくて、この百年にできた唯一のメリットは、戦争を禁止する国際法ができたということです。

ただ、それが制度的に、安保理の常任理事国の拒否権という制度があるがゆえに、必ずしもうまく機能しないという状態が今世紀に至ってもまだできていて、その結果、例えば、国際法を無視した解釈に基づいて、力による国際秩序を損なう行為がある。はっきり申し上げると、ロシアのクリミアへの主権の侵害というのもそうでしょうし、ISILによる非常に非人道的な行為もそうでしょうし、中国が行っている排他的経済水域の中を自国の海洋国土と称して軍事的な脅威を周辺国に与えている行為もそうでありましょう。これら全て、安保理決議は通らないわけであります。

こういう、力で国際法を勝手に解釈して周りに脅威を与えるという状態が常に出てきて、しかも、国家領域が未画定である領域、例えばどういうところかというと、海洋とか宇宙空間とかサイバー空間、これはどこからどこまでがどこの国の国境と決まっていないところに、力を使って外へ出てくるという行為が広がっている。この広がっている行為がどのような形で我が国に及ぶかわからないという問題が我々の周りに存在しているという
ことが、やはり一番大きいと思います。

もちろん、それに加えて、さっき先生の御指摘のように、非国家主体による不法な行為、いわゆるハイブリッド戦争などと言われるような、脅威の態様、脅威の様相が変わっていって、しかも、その中で、兵器の精密度、攻撃度、破壊力あるいは射程というものがどんどん伸びて、脅威がなかなか予見できない。しかも、あったとしても一つの国だけでは守れないといういろいろな環境の中で、今までのような、従来の安全保障の対応ではやっていけない環境が生まれつつあるし、また、将来はもっとこれが深刻になるという状況がある。

その中で、やはりアジア太平洋の安定というものをきちっと対応してくれる能力を持っている、その機能を持っているアメリカが、国防予算上、いわゆるリバランスという政策をとらざるを得なくなって、この地域を重視していると言いながらも、実際には、全ての地域の安定をアメリカだけで守ることができず、同盟国が彼らの、アメリカの持っておる機能や役割を相互補完しなければならない状況にあって、その意味でアメリカが日本や豪州に期待しているところは非常に大きいと思います。

大きいということは、今までの、従来の法解釈のもとで日本がやれたことでは、もはやアメリカと一緒になってアメリカのこの地域における抑止力を有効に発揮できないような実態が現に生まれているし、今後もっとこれが深刻になる。

したがって、平常時からは当然のことながら、緊急事態も、あるいは我が国にとっての有事も、我が国にとっての有事でも平時でもない、中間のあらゆる様相に常に対応できる法整備を平生から行って、実態として、何か起きたときに慌てて立法府で時間をかけて法整備をするのではなく、平生から法律上の根拠を明確にして自衛隊の体制を整えておくということが今日的な意味であり、この安保法制の最も重要なまさに肝ということになるんだろうと考えております。

以上でございます。

○遠山委員 ありがとうございます。森本参考人のお話の中に、なかなか予見できない脅威があるというお話がありました。

私ども、そういう感覚を強く持っているわけでありますが、しかし、そもそも論を考えてみますと、国家の安全保障というのは万が一への備えでございます。万が一というのは、一万分の一は〇・〇〇〇一%でございますから、これは議論として非常に難しい面が本質的にあるんですね。〇・〇〇〇一%、もしかしたらそれ以下の確率しか発生する可能性がないものについても想定をして議論するのが国家の安全保障でございます。

この後、阪田参考人にお伺いをしたいと思いますが、ただし、我々、この国会において国家の安全保障を論ずるときには、我が党の北側副代表が当委員会の総括質疑で申し上げましたように、憲法の適合性をまずしっかり考える。二つ目は、法制度、法治国家ですから、法制度に基づいてどう自衛隊を動かすかということを考える。最後に、そのさらに下に政策判断、運用というものがある。

この三つの次元を混乱せずにきちんとわかりやすく議論をするということがなかなかこの委員会でできていないので、国民の皆様の理解が進んでいないと私は個人的に感じております。

そこで、一番大事な憲法適合性のところについてお伺いをしたいと思います。

私どもは、一年間、与党安保協議で、昭和四十七年見解に基づいて、今回の新三要件というものを導き出す議論をしてまいりました。それは、端的に言えば、昭和四十七年見解の基本的論理を維持しながら、そこに、たった今森本参考人がおっしゃったような、新たな安全保障環境からくる事実認識を当てはめまして、そして、結論部分におきまして、先ほど宮﨑参考人は、そこの結論部分について、留保のない結論と表現されましたが、私どもはちょっと異なりまして、文章の中に、「そうだとすれば、」というところから始まるのが結論部分でありますから、ここは事実認識が変わって、基本的論理は変わっていないけれども、当てはめて導き出される結論の一部が変わるということは論理的にあり得る、それが新三要件だというふうに出しました。

この新三要件でございますが、阪田参考人にお伺いをしたいのは、私どもは、「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、」ここは、「他国に対する武力攻撃が発生し、」と確かに書いております。これが契機で始まる事態なんですね。ただ、私どもとして実は強調したいのは、「これにより」なんです。「これにより」の五文字なんです。

これは英文ではアズ・ア・リザルトと翻訳されておりますが、この密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生をした、これが契機なんですが、これによって我が国の存立が脅かされ、我が国の国民の生命、自由及び幸福の追求の権利が根底から覆される明白な危険のある場合と。ですから、ここは因果関係が必須だと、論理的に。だから、単に他国に武力攻撃が発生しただけでは絶対にいけない。その因果関係がしっかりある形で、我が国の国民の生命、自由、権利が覆されるということが明白な場合というふうにしております。

よって、我々与党安保協議会のメンバーの共通認識は、これは現行憲法のもとで日本がとり得る自衛の措置の限界を明らかにしたんだと。よって、高村自民党の副総裁が、与党協議がまとまった直後の記者会見で、これ以上のこと、つまり、みずからは攻撃されていないし死活的影響も来ていないのに、他国を専ら守るために武力を行使するということは、憲法を改正しなければできないんだ、ここが限界なんだというコメントをしているわけでございまして、私は、これは今までの政府の憲法解釈と論理的整合性はある、このように思っておりますが、阪田参考人の御意見を聞きたいと思います。

○阪田参考人 他国への攻撃によって何が侵害されるのかというところがポイントなんだと思うんです。それが契機であるということはおっしゃるとおりだと思うんですけれども、我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される、これはずっと、我が国が武力攻撃を受けたときの状態を指して使ってきた言葉なんです。また、我が国自身が武力攻撃を受けない限り、そんなことは起こり得ない。ですから、そこをはっきりさせていただきたいと思うんですね。どこか遠くで、油が入りにくくなった、備蓄が少なくなった、そんな話まで入るんだというのなら、それは満州事変のときの自衛と同じことになってしまうわけですから。

ですから、やはり、その結果何がもたらされるのか、我が国に対する攻撃が差し迫っているんだ、たまたま契機としてということなんだということをぜひとも明確にしていただきたいと思いますし、今、森本先生からもずっと、環境が変わったということについてお話がありましたけれども、それは、今の憲法自身は何も変わらないわけで、ずっと、何というんでしょうか、政策判断あるいは国際貢献をどうするかというふうなことが優位ではないので、憲法の中で、そういう変わった環境に対して日本として何ができるかということを考えるべきなので、変わった環境に軍事的に十分に応えなければいけないからこの憲法の中で何でもやってもいいということにはなりようがない。もしそれがどうしても必要であるとすれば、それができるような憲法に改正するというのが政治の王道なんだろうと思いますね。ということだけ申し上げておきたいと思います。

○遠山委員 我々、何でもやれるというふうに考えていないので新三要件を論理的に導き出したというふうに思っておりますし、戦前の満州事変と同じになるという参考人のお話がありましたが、私は、戦後の自衛隊と戦前の軍隊は根本的に違うと思っております。

戦前の日本軍は、ネガティブリストでございますので、自衛という大義名分のために、どこにも行けたし何でもできた、それは事実です。しかし、戦後の自衛隊は、まさに法制局長官の歴代の皆様が御答弁されているように、極めて抑制的に、しかもポジティブリスト、法律に書いていることしかできないということでございますので、そういう危険性はそもそも極めて少ないというふうに思っております。

時間の関係で、森本参考人にもう一回お伺いをしたいと思います。

海外に派遣される自衛隊のリスクについて、当委員会でも大分議論がございました。私ども公明党は、与党協議の中で、相当いろいろな歯どめをかけさせていただいたという自負がございます、自民党の皆様にも御理解をいただいた上ででございますが。

例えば、新たな後方支援をする新法、恒久法と言われている国際平和支援法におきましても、例外なき国会の事前承認がついておりますし、参加する国際共同対処事態も国連決議がなければならないと。そして、後方支援、協力支援活動に従事する自衛隊員の武器使用基準は自己保存型だけに限定をしておりますし、もちろん、戦闘現場でないところで活動を行う。また、PKO法の方は、PKO五原則の堅持もさせていただいておりますし、安全確保等についても新たな配慮規定を入れたわけでございます。

なぜ日本の国民の皆様が、この自衛隊の国際貢献、PKO活動等を今高い支持率で賛同してくださるかといえば、やはり私は実績だと思っております。

二十三年間、PKOに派遣された自衛官の数は三万人を超えます。一人も亡くなっておりません。そして、一人も撃っておりません。これは、運もあると言う方がおりますけれども、例えば、三万人の一%は三百人ですからね。一%の派遣された自衛隊員が戦闘に巻き込まれたとしても三百人、それがゼロです。これは偶然ではありません。これは、民主党政権時代も含めて、政府がいかに抑制的にやってきたか、そして、自衛隊の皆さんが練度が高く、なるべく武器使用をしなくてもいい状況になるように努力してきたからだというふうに思っております。

この実績をもとに、我々としては今後も同じ運用の姿勢で安全確保に配慮しながらやっていきたいと思っておりますが、この歯どめの部分と、そして、政府が今までやってきた運用、抑制的な運用という実績を踏まえた、今後、業務が拡大されたとしても、安全にやっていくことができるのだと我々は考えているわけですが、森本参考人の御意見をいただきたい。

○森本参考人 自衛隊が、過去、PKO、二十二年以上海外で勤務し、それ以外に、もちろん海賊対処あるいはインド洋の給油、現在は南スーダンにPKOを出したり、いろいろな法律に基づいて海外で多数の隊員が活動して、それが高い国際評価を受けてきたこと、それから、一発も撃たずに一発も撃たれずに今日まで済んできたこと、これは、国会でのいろいろな歯どめということもありますし、自衛隊の持っている管理の能力、隊員の
個々の高い自覚、任務意識、それがトータルで今日まで来たんだと思います。

今後ともこれが続くことを我々は期待するんですけれども、役割と仕事がふえると、やはり客観的に言うと、人間が住んでいるところというのは常にリスクがあるわけで、リスクがこれより減っていくということは少し考えにくい。そのリスクをいかにして管理していくか、危険を少ないものにしていくかというのは、これ以上の努力が必要だと思っています。

やはり重要なことは、周りで起こっていることに対する非常に高い情報収集の能力あるいは警戒監視の能力というのが一つだし、それから、外に出ていって活動する隊員の体制の整備、これは先ほど申し上げましたが、いろいろな整備のやり方があると思いますが、規則やマニュアル、あるいはそれに伴う訓練、あるいは関係諸国との事故防止協定や連絡メカニズムをきちっとするということも重要だと思います。

重要なことは、やはり同盟協力や多国間協力が多いわけですから、日米間でどのように情報交換をし、こちらが必要な情報を持っているかということと、それから、多国間協力にできるだけ参加することによって周りの状態、周りの国が考えていることを鋭く把握するということも必要だし、それがトータルなものとしてリスクの管理ができるということだと思うんです。

結局は、運がよかったか運が悪かったかということではなくて、リスクというものを、いかなる生物体であれ、人間が成り立っている社会というのは、リスクを予知し、これを予見し、予防し、対策を講じることによって防止をし、抑止ができるということなわけですから、その努力を今後とも続けるということによって、一方で任務を効率的に実施しながら、一方で隊員の安全を維持する、この二つをどのようにしてトータルでマネージしていくかということは、これから防衛省や自衛隊が真剣に考えてくれるのではないかと考えます。

しかしながら、現在の自衛隊というのは自衛隊の任務を行うために必要な体制と予算が認められてできているわけで、これ以上のことを諸外国に対して、例えばそれが後方支援であれ行うためには、今のような状態では少し不足の部分があって、何をふやさないとそれが実施できないのかということを考えること、そしてそれに必要な隊員の練度を向上するための訓練を行うこと、非常にたくさんのことをこれから実施機関である自衛隊・防衛省がやらないといけないということになるんだろうとは思います。

以上でございます

○遠山委員 ありがとうございました。終わります。

2015年06月22日デイリーメッセージ 国会質疑 安全保障

5月28日予算委員会パネル

昨日の予算委員会で使用したパネルについて、詳しく見たいとの要望を多数頂いておりますので、掲載いたします。

衆議院議員遠山清彦予算委員会パネル1(2014年5月28日)

衆議院議員遠山清彦予算委員会パネル2(2014年5月28日)

衆議院議員遠山清彦予算委員会パネル3(2014年5月28日)

衆議院議員遠山清彦予算委員会パネル4(2014年5月28日)

衆議院議員遠山清彦予算委員会パネル5(2014年5月28日)

<5枚セットのPDFファイル>
toyama_panel20140528yosan_01_05

※質疑の議事録
http://toyamakiyohiko.com/know/kokkai/2014/05/5896.html

2014年05月29日国会質疑 安全保障

「集団的自衛権」についての集中審議(平成26年5月28日・予算委員会)

○遠山委員 おはようございます。公明党の遠山清彦でございます。
 安倍総理の五月十五日の記者会見の後、安保法制のあり方に関する与党協議が既に開始をされております。私も光栄にも参加をさせていただいておりますが、現在、記録係でございまして、発言ができないという立場で参加をさせていただいております。きょうは、そういう意味で、発言ができますので、総理と、ぜひ基本的な考え方について直接確認をさせていただきたい、このように思っております。
 安全保障に関する国会及び政府の議論は、従来から神学論争とやゆされてまいりました。先日も、私、東京都内で、千五百人余りの集会で聴衆の皆さんに伺いまして、集団的自衛権は自分はわかっているという方、手を挙げてくださいと言ったら、約二名だけ手を挙げられたということでございます。
 その意味で、現在、与党協議、そしてきょうから国会で議論されるこの安保法制の議論につきましては、やはり、国民の理解を得る、深めていただく、こういうことが最重要だと考えております。それがあって初めて幅広い国民的な合意も形成される、このように考えているところでございます。
 本日は、これらのことを念頭に、今日まで数十年間、そのほとんどは自民党政権のもとででございますけれども、国会あるいは政府の中で緻密な議論の積み重ねの結果として確立してきた現在の憲法解釈における戦力と自衛権の問題につきまして、確認をし、総理のお考えを伺いたい。ぜひ、総理におかれましては、テレビをごらんになっている国民の皆様にわかりやすい御説明をお願いしたいと思います。
 きょうは、パネルを五枚用意いたしました。まず、一枚目のパネルでございます。
 総理はこれは言わずもがなの内容でございますけれども、政府解釈の論理というものを、戦力をキーワードに確認したいと思います。
 まず、左側の絵でございますけれども、極めて大ざっぱに、素朴に考えれば、統治機構として国家が持つ実力装置には、大別して、治安維持のための警察力、これは下段に書いてあります、それから、外敵から国土、国民の防衛をする戦力というものがあるわけでございます。
 しかしながら、このパネルの左側に、見方によっては右側でございますけれども、書いてありますとおり、日本国憲法は、憲法九条という、いわば武力行使を原則として禁止する、こういう規範がございます。一方で、前文や憲法の第十三条に、国民の生命、自由及び幸福追求権を守る責務が国にあると読める内容になっております。
 この一見矛盾する二つの規範を整合的に解釈したものがこの右側の絵になっているわけでございますが、要するに、警察力と戦力の間に自衛力という概念をつくり出して、そして、「憲法九条とともに」云々の下に書いてあるとおり、国民の生命、自由及び幸福追求権が根底から覆される事態に対処して、国はこれを守る、それが自衛力である。それで、現行の憲法解釈では、個別的自衛権のみに基づいてこの自衛力を行使する。こうなっているわけでございます。
 次に、パネル二番に参りたいと思います。
 先日発表されました安保法制懇の報告書には、総理も記者会見でおっしゃっていたように、二つの異なる考え方が示されておりまして、そのうちの一つが、いわゆる芦田修正論でございます。
 ただ、総理、芦田修正論と言われてわかる国民は、九九・九%いらっしゃらないと思いますので、きょうは絵にしてまいりました。
 左側は、引き続き素朴な考え方で、戦力と警察力。もちろん、素朴に考えれば、憲法九条のもとで戦力は否定されていますから、これはうっすらとバツと書いてあります。警察力はマルだと。
 それで、芦田修正論というのは、これは下段の方に憲法九条の全文を載せさせていただいておりますが、第一項におきまして、「日本国民は、」途中、割愛しますが、「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」これが九条の第一項でございます。第二項の冒頭、「前項の目的を達するため、」そして「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。」交戦権も持たない、こういう内容になっているわけであります。
 芦田修正というのは、これは芦田均衆議院帝国憲法改正小委員長の発案で、この二項の冒頭に赤い下線がついているところがつけ加えられた。この読み方として、この「前項の目的を達するため、」というものが前の一項全体にかかるのではなくて、国際紛争の解決の手段としての戦争だけにかかる、こういう解釈をします。
 そうしますと、上の絵に書いてあるように、自衛力という概念というよりも、警察力と戦力で、戦力の中に、言葉が適切かどうかわかりませんが、よい戦力と悪い戦力があるという考え方になります。悪い戦力というのは、バツになっておりますが、要するに、今私が申し上げましたように、国際紛争を解決する手段としての戦争、すなわち侵略戦争のための戦力を持つことはだめですよと。
 しかしながら、それ以外の戦力はマルになっております。横を見ますと、では、どういう戦力がマルかというと、自衛戦争、個別的、集団的自衛権の行使のための戦力、これはマルですと。それから集団安全保障措置、いわば制裁戦争、これもマルですよ、このための戦力もマルですよという立場でございます。
 これがいわゆる芦田修正論の中身なわけでございますが、総理は十五日の記者会見で、政府の憲法解釈とは論理的に整合しないため、採用できないと御発言をされました。
 まず、この点について総理に伺います。
 総理として、なぜこの考え方が、芦田修正論の考え方が採用できないという判断に至ったのか、改めてわかりやすく御説明をいただきたいと思います。

○安倍内閣総理大臣 ただいま委員におかれましては、芦田修正の論理についてわかりやすく御説明をいただいた、このように思います。
 芦田修正につきましては、確立された定義が実はあるわけではないと承知をしておりますが、一般に、今委員が御説明になられたように、憲法第九条第一項はいわゆる侵略戦争を放棄していると解した上で、いわば侵略戦争はこれは悪い戦力になる、今そういう御解説だったと思いますが、第二項は、前項の目的を達するため、すなわち侵略戦争を放棄するために戦力の不保持を定めているとして、侵略戦争ではない、自衛のための、あるいは集団安全保障のための実力の保持や武力の行使には制限はないとする考え方でございまして、政府としては、この芦田修正論の立場をとったことはないわけでございます。
 安保法制懇の報告書では二つの異なる考え方を示していただいたわけでありまして、一つは、芦田修正の経緯に着目をし、個別的か集団的かを問わず、自衛のための武力の行使は禁じられていない、また、国連の集団安全保障措置への参加ということは、国際法上合法な活動には憲法上の制約はない、集団安全保障においての活動は制約はない、そして個別手段についても制限がないという考え方でございますが、これは今まで政府としては一度もとったことがないわけでございます。
 御承知のように、政府の考え方、昭和四十七年に示された考え方におきましても、憲法の前文と憲法の十三条にのっとって我々には自衛権があるという考え方、これは基本論でございまして、その上において、個別的自衛権に制限されていくわけでございます。
 我々は、この基本的な考え方、つまり憲法の十三条そして前文を根拠とするという基本的な考え方にのっとるということにおいて、芦田修正論はとらないということになるわけでありまして、したがって、自衛隊が武力行使を目的として湾岸戦争やイラク戦争での戦闘に参加することはない、この考え方はとらないということは明確にしておきたいと思いますし、そのことを検討することはないということでございます。

○遠山委員 総理は、芦田修正論の立場はとらないと明言をされました。一方で、総理は、安保法制懇が示した二つの考え方のうち、もう一つ、従来の政府の基本的な立場を踏まえた考え方については、今後さらに研究を進めていきたいということで、今、与党協議も行われているわけでございます。
 そこで、従来の政府の基本的な立場とは何かについて、これから二つのパネルを見ながらやりとりをしたいと思うんです。
 まず、パネルの三つ目。
 これはもう毎日のように今新聞に載っている話でございますので、詳細の説明は避けますけれども、自衛権発動の三要件。
 我が国に対する急迫不正の侵害があること、これを排除するために他の適当な手段がないこと、つまり外交交渉で説得しても武力行使をする構えをやめない、この二つが、まず自衛権発動の前提条件でございます。
 その上で、では、自衛権に基づいて武力行使をするというときには、その行使の限度として、必要最小限度の実力行使にとどまる。それで、今までの政府解釈、今までのというか、現行の、今の政府解釈では、この必要最小限の中に集団的自衛権は含まれないということを繰り返し答弁をされているわけでございます。
 ここで、総理に改めて、これも確認の意味で伺いますが、総理は、今後も、この現行の自衛権発動の三要件を維持されますか。

○安倍内閣総理大臣 先ほどの答弁の中でも、一つの考え方として芦田修正が示され、そしてもう一つの考え方としては、我が国の安全に重大な影響を及ぼす可能性があるとき、限定的に集団的自衛権を行使することは許されるとの考え方でありまして、従来の政府の基本的な立場を踏まえた考え方であり、政府としてはこの考え方について今後さらに検討を進めていくように指示をしたところでございます。
 今委員が御指摘になった三要件に該当する場合、今までは、政府は従来から、このいわゆる自衛権発動の三要件に該当する場合、我が国に対する急迫不正の侵害があること、つまり我が国に対する武力攻撃が発生したこと、そして、これを排除するために他の適当な手段がないこと、必要最小限度の実力行使にとどまるべきことに該当する場合に限られる、こう解しているわけであります。
 私は、我が国の安全に重大な影響を及ぼす可能性があるという限定的な場合に集団的自衛権を行使することは許されるという安保法制懇の考え方について、さらに研究するように指示を出したところでございまして、これを受けて、まさに、遠山先生も含めて、与党でも御協議をいただき、そして、政府内におきましては、法制局を中心に議論をしているところでございます。

○遠山委員 そうしますと、今の総理の御答弁は、これを維持するかどうかという私の質問には直接お答えになっていませんので、これからの与党あるいは政府内の協議の結果に委ねるという解釈でよろしいですか。うなずかれているので、それで結構です。
 それでは、これは今までの政府の考え方なんですが、これをさらに詳しくしたパネルを出します。
 「憲法九条解釈の論理」というタイトルのついたパネルでございますが、これは、けさ以来ずっと出ております昭和四十七年の見解を中心に、今の政府の考え方をより詳しく見ているものでございます。
 まず、左側は、既に説明を申し上げました。日本国憲法の中には九条がございます。戦争の放棄、一切の戦力不保持、交戦権の否認。つまり、一言で言えば、戦力を用いた武力行使の禁止を原則としております。一方で、日本国憲法の中には、前文で日本国民の平和的生存権、十三条で国民の生命、自由及び幸福追求権の保護をうたっているわけでございます。
 この一見矛盾する条文の整合的解釈として、今までの緻密な政府内の議論、国会での議論の積み重ねによって、昭和四十七年見解はこう書いております。要点だけ抜き出しております。
 まず、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置を憲法は禁じていない。だから自衛権はあるんだという結論でございます。
 しかし、その次です、しかし、この措置は、憲法九条の規範性がございますので、この措置は無制限ではない、次の場合に限られる。一つは、外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるという急迫不正の事態に対処する場合のときのみ。二つ目が、国民のこれらの権利を守るためのやむを得ない措置としてとるとき。三番目に、先ほども出てまいりました、右の事態を排除するためにとられるべき必要最小限度の範囲ということでございます。
 ここで、黄色くマーカーをさせていただいている真ん中のところを、総理、見ていただきたいんですね。これが私、一番大事な概念だと思っておりまして、つまり、憲法九条で武力行使が原則として禁止されているにもかかわらず、それが許される根拠の最大の重要な部分は、国民の、日本国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるという事態に対処するというところなんですね。
 ここで法制局長官に簡潔に御答弁をいただきたいと思いますが、この昭和四十七年の見解を読むに当たって、どういう読み方をしても、少なくとも言えるのは、今私が申し上げたこの部分、自衛権の行使が容認されるのは、日本国民の生命、自由、幸福追求権が根底から覆される場合だという解釈になると思いますが、それで間違いないですか。

○横畠政府特別補佐人 昭和四十七年の政府見解の、詳細は既に御指摘がありましたので省略いたしますけれども、その肝のところを申し上げますと、平和主義をその基本原則とする憲法が、自衛のための措置を無制限に認めているとは解されないのであって、それは、あくまで外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるという急迫不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るためのやむを得ない措置として初めて許容されるものであるとした上で、我が憲法のもとで武力行使を行うことが許されるのは、そのような事態に対処する場合に限られるという趣旨を述べているものでございます。

○遠山委員 ここで総理に伺います。
 今の昭和四十七年見解を、これは安保法制懇の報告書でも引用されているんですね、重要な資料として。この根幹の考え方を維持した上で、憲法解釈との論理的整合性も重視した上で、芦田修正論の立場をとらず、集団的自衛権のことを考えますと、次のような考え方が出てくるかもしれません。
 すなわち、日本ではなく、日本と密接な関係にある他の国が武力攻撃を受けた場合でも、日本の、日本人の、国民の生命、自由及び幸福追求権が根底から覆される事態が生じ得るから、そこに着目をして、これまで必要最小限度に認めてこなかった集団的自衛権を限定的に容認する。
 こういう考え方を論理的に考えると、総理が記者会見で挙げられた、邦人を輸送する米艦防護の例が想起はされます。ただ、ここで質問じゃありません、しかし、この考え方に立ちますと、そうすると、単に密接な関係にある国が攻撃されただけでは、集団的自衛権の行使はできない。つまり、日本人が乗っていない米艦が攻撃されたときには、この昭和四十七年の見解にあるように、日本の国民の生命、乗っていないわけですから、日本国民の生命、自由、幸福追求権が根底から覆される事態とは言いがたいわけでございます。
 この辺を総理はどのように整理をされているのか、お話をいただきたいと思います。

○安倍内閣総理大臣 論理的な進め方としては、まさに今委員が御指摘になった論理だと私も思います。
 そこで、先ほど例として挙げた、他国で紛争があり、それを逃れてくる邦人を乗せた米国の船を守ることができるかどうかということでありますが、と同時に、では、乗っていなかったらどうかということであります。
 そこで、いわば、根底から覆される事態というのをどう考えるかということにもなるわけでございますが、日本の近隣でそういう紛争が起こったとき、それは日本にも飛び火してくる可能性があるわけでありますし、また、多くの邦人の命を救出する、命が脅かされているという状況と考えてもいいわけでありまして、その邦人を日本に安全に連れ帰ってくることは私たちの責任でもあります。
 そこで、しかし、それを主な任務として米国の船が担うときに、その防衛を依頼されたときに、この船は日本人が乗っているから守るけれども、この船には日本人が乗っていない可能性が、守るということを前提に、そもそも米軍とそういうエバキュエーションの、避難の計画を立てるということ自体が現実的ではないと言わざるを得ないんだろう、このように思うわけでございまして、その中において、事実、そういう意味において、こういう近隣の事態についての作戦等々についての詰めをなかなか行うことができないというのが現実としてあるわけでありますから、そこで、我々は、私たちもある一定の任務を担うことによって、これは邦人の安全も確保することにつながるであろうということであります。
 つまり、あの論理の中におきましては、邦人が乗っている船と同時に、邦人が乗っていない船であったとしても、このエバキュエーションのオペレーション自体、全体を考えることは、今までの、四十七年の考え方の根底を変えるものではない、いわば基本に沿ったものであるという考え方もできるのではないか。
 そういうことにおいて、与党において、また政府においても議論していく。これはまだ、それはまさにこれから議論していくわけでございますから、そういう課題、問題意識のもとに御議論をいただくということでございます。

○遠山委員 総理、今の御答弁は、私もこれからしっかり考えなきゃいけないと思っております。
 私が申し上げたのは、日本人が乗っていない米艦が攻撃されたときは、この四十七年見解のような事態には至っていないわけでございます。にもかかわらず、集団的自衛権ということは自衛権ですから、それは武力行使も含まれるわけでございまして、それをすることが認められるかどうか。
 今の総理の答弁は、避難計画という話が出てまいりましたから、必ずしも、米艦そのものへの攻撃を防御する話は、総理は今されなかったんですね。ですから、そこも含めて、これから少しまた議論したいと思います。
 最後に、もう一枚のパネルを用意しておりますので、御指摘をさせていただきたいと思います。
 これは、総理御本人のお考えではありません、安保法制懇が考える集団的自衛権行使の要件でございます。
 ただし、今パネルで示している、上の枠の中に書いてある、黄色くマーカーしています、「その事態が我が国の安全に重大な影響を及ぼす可能性があるとき」という表現は、総理御自身も御答弁の中で何度か使われているわけでございます。
 私としては、国権の発動で、本来九条で原則として禁止をされている武力を行使する要件として、可能性という、英語で言うとポシビリティーですね、これを基準にして判断するというのはどうなのか、いいのか悪いのか、これはやはりしっかり議論しなければいけないと思っております。
 それから、下を見てください。総理、これは、実は私もじっくり読んで初めて気づいたんですが、この下の枠のところは、上のような場合に該当するかどうかについて、さらなる判断要素を五つ書いております。
 この五つの判断要素を政府が総合的に勘案して最終的に判断をせよとなっているんですが、一番と四番は従来の政府の考え方でも出てくる要素です。しかし、私が黄色いマーカーでつけているところ、例えば二番、日米同盟の信頼が傷つくかどうか、あるいはその抑止力が大きく損なわれ得るか。三番、国際秩序そのものが大きく揺らぎ得るか。それから五番はちょっとあれですね、余りにもよくわからない、その他深刻な影響が及び得るか。こういった、いわば大ざっぱな、解釈の幅が極めて広い判断要素で、まさか武力行使の判断をするのかどうか。
 しかも、これはパネルに書いていませんけれども、地理的限定はしないということまでただし書きがついております。
 総理に、ここで二問、質問をいたします。
 総理の記者会見を読んでこれを見ると、総理は、芦田修正論は否定をしていますけれども、こちらの考え方、今私が示している考え方は今までの政府の解釈に近い考え方のようなニュアンスでお話しになっているんですが、今詳しく拝見しますと、どうもそうでもないなというふうになるんですね。特に、この最後に申し上げたような判断要素は、これを認めてしまうと憲法九条の規範性そのものが失われかねない、こう思いますけれども、総理の御見解をいただきたいと思います。

○安倍内閣総理大臣 これはまさに、今、遠山委員がおっしゃったように、安保法制懇の御指摘であります、考え方であります。
 そこで、いわば、安保法制懇としては、この集団的自衛権の行使についても、これはまさに権利であって、もちろん義務ではないわけであります。つまり、その中において、権利としてあることによって、これはさらに政策的選択肢としてとるかとらないか、これは重大な判断になるわけでありますし、かつ、そのための根拠法も必要であります。そして、この判断をする、これはもう相当、これは日本人の命がかかっておりますから、慎重の上にも慎重に判断をするというのは当然のことだろう、このように思うわけであります。恐らく、安保法制懇としては、さまざまな事態、何が起こり得るかわからないという事態の中において、この選択肢をなるべく、ある程度置いておこうという考えだったのかもしれませんが。
 いずれにせよ、政府としては、まさにこうした安保法制懇の出した報告について、今まさに与党で議論をしていただいております。そうした観点からしっかりと御議論をいただきたい。そうした与党の御議論も踏まえて、政府としても法制局を中心に検討を進めていきたい、このように思っております。

○遠山委員 最後の質問を簡潔に申し上げます。
 安保法制懇の報告書では、今まで政府がとってまいりました、他国の武力行使との一体化論、これはもう採用しない方がいいという結論を出して総理に進言しておりますが、総理の記者会見では、総理御自身はこの点について一切お触れになりませんでした。
 総理として、武力行使との一体化論、これを維持されていくのかどうか、簡潔にお答えをいただきたいと思います。

○安倍内閣総理大臣 これまで、我が国による後方支援に際しては、我が国による後方支援が他国の軍隊の武力の行使と一体化することがないことを制度的に担保するための一つの仕組みとして、個別の法律において、非戦闘地域や後方地域といった仕組みを採用してきました。
 他方、安全保障環境が大きく変化する中において、国際協調主義に基づく積極的平和主義の立場から、例えば、国際の平和及び安全が脅かされ、国際社会が一致団結して対応するときに、自衛隊が幅広い後方支援活動で十分に貢献できるような法整備をすることが必要であると考えています。
 また、後方支援活動等を今まで以上に支障なくできるようにすることは、我が国の安全の確保の観点からも重要である、このように考えているわけでありまして、いわば、地域や世界の平和が維持されて日本の繁栄と平和があるという考え方に基づいて、しっかりと貢献をしていかなければならない。その中で何ができるか、何をすべきかという観点で検討をしていかなければいけないわけであります。
 そこで、御指摘の、武力の行使との一体化の考え方をもはやとらないとする安保法制懇の報告書の提言をそのまま採用することは、従来の政府の立場に照らして難しいと考えておりますが、難しいとしても、従来から政府が示してきた判断基準を、より精緻なものとして、具体的に何が武力の行使と一体化する行為なのかを明確にすることは、今後の検討課題の一つであると思います。
 また、従来から、非戦闘地域、後方地域という概念についてはさまざまな議論もありまして、この点も含めた検討が必要ではないかと考えています。
 いずれにせよ、現在、与党協議が進められている中におきまして、こうした点につきましても御検討いただき、その結果に基づいて、政府として対応を検討していきたいと思います。

○遠山委員 これからしっかり議論をさらに進めてまいりたいと思います。
 以上で終わります。ありがとうございました。

※パネル
http://toyamakiyohiko.com/know/kokkai/2014/05/5892.html

2014年05月28日国会質疑 安全保障

3月18日衆議院本会議での代表質問(全文)

国家安全保障戦略、防衛計画の大綱、中期防衛力整備計画の総理報告に対する代表質問

平成26年3月18日
公明党 遠山清彦

私は、公明党を代表し、ただいま議題となりました、政府が昨年12月17日に閣議決定した、「国家安全保障戦略」、「防衛計画の大綱」、及び「中期防衛力整備計画」に関連し、安倍総理、外務大臣、防衛大臣に質問いたします。

地方分権が進められている今日においても、外交および安全保障に関する諸政策は、一義的には国の責任の下に決定し、遂行されるべきものであります。その点から、昨年、国家安全保障会議(NSC)が設置され、政府与党内の議論を経て、戦後初となる「国家安全保障戦略」という文書を従来の「国防の基本方針」に代えて策定したことは、大きな歴史的成果だと考えます。

しかし、まず、大切なことは、我が国が掲げる基本理念であります。

「国家安全保障戦略」の中で、それは、「平和国家としての歩みを引き続き堅持し、国際協調主義に基づく積極的平和主義の立場から、我が国の安全及びアジア太平洋地域の平和と安定を実現しつつ、国際社会の平和と安定及び繁栄の確保にこれまで以上に積極的に寄与していく」とされています。ここで最も大切な点は、日本は「平和国家」としての地位を今後も堅持することです。

戦前の一時期、日本が他の国々への侵略と植民地支配によって多大な犠牲と苦痛を他国民に強いたことは事実であり、そのことへの猛省が戦後日本の平和国家の起点になっております。この点で、安倍総理が先般、現政権下で「河野談話を見直さない」、「村山談話を継承すること」を明言されたことは、率直に評価させていただきたいと思います。

その上で、戦後日本が築いてきた平和国家の内実とは何でしょうか。結論を先に申し上げれば、日本は単に「国連憲章を遵守する」だけの平和国家ではない、と考えます。

日本に限らず、国連加盟国が国連憲章を遵守するのは当然です。しかし、日本の場合は、それに加えて、憲法九条の平和主義の下に海外で武力行使をしないという姿勢を一貫してきたこと、唯一の被爆国として非核三原則を堅持し軍縮をリードしてきたこと、武器輸出三原則等で武器貿易を厳格に抑制してきたこと、などが含まれる平和国家としての地位を今日まで築いてきたのではないでしょうか。この点について、安倍総理の認識をうかがいます。

武器輸出三原則等の見直しについては、現在与党PTで防衛装備品の移転の新原則として策定内容が協議されておりますが、一部報道等で誤解を与えるものがあります。すなわち、この見直しで「武器輸出が全面解禁される」というものです。私たちが現在議論している方向性は「全面解禁」ではなく、今後も「禁止される輸出」と、昭和58年以来21回にも渡り例外化されてきた「許可しうる輸出」についての基準を整理・明確化し、適正審査と厳格管理の体制を強化するものです。

ただし、平和国家として、基準に適合したと判断された輸出が恣意的に運用されていないか、国民がチェックできることは極めて重要です。そこで総理に提案いたします。新原則の下での防衛装備品の移転・輸出については、類型ごとに全体の許可件数、輸出額、及び輸出先を記し、かつNSCの個別判断を検証できる情報も記した「年次報告書」を国会に提出し、当初案よりも一層の透明化を図るべきである、と考えます。総理の見解を伺います。

次に、日本の国益上、エネルギー資源等の輸送路である海上交通路の安全確保は重要であります。その観点から協力国への「救難、輸送、警戒監視及び掃海に関する装備品の輸出」も現在検討されているわけですが、この分野はそもそも警察権に基づく海上保安的要素もあり、装備もさることながら人材育成が喫緊の課題と言えます。しかるに、協力国として想定されるアセアン諸国の海保分野の人材育成は遅れており、日本からのさらなる能力向上支援のニーズが高まっております。そこで、この際、政府として、防衛交流に準ずる海保交流支援を実施するために十分な予算を確保すべきと考えますが、総理の方針を伺います。

国家安全保障の車の両輪は防衛力と外交力であることは論を待ちません。安倍総理の総理就任後の精力的外交活動には心から敬意を表します。しかし、我が国が目指すアジア太平洋地域の平和と安定の実現のためには、近隣諸国との関係改善は不可欠であります。単刀直入に申し上げますが、まず日韓首脳会談を今月オランダで開催される核セキュリティサミットの際に是非とも開いていただきたい。そして、日中についても、不測の事態を避ける信頼醸成メカニズム構築のための外交努力を粘り強く展開していただきたい。

同盟国である米国のリバランスポリシーの本質は、中国の急速の台頭という安全保障環境の変化を平和的に管理することであり、そのことを踏まえた戦略的外交を総理のリーダーシップの下に展開されることを切に望むものであります。総理の御決意を伺います。

日朝関係については、横田めぐみさんのご両親が、めぐみさんの娘であるウンギョンさんらとモンゴルで初めて面会したという展開に接し、安倍政権の拉致問題解決への強い決意を感じたところであります。今後、現在の日朝間の課長級非公式協議を局長級の公式協議へ格上げするとの報道がありますが、この協議で政府として何を目指すのか、岸田外務大臣の答弁を求めます。

政府はサイバー攻撃への対応能力の一層の強化も、目標に掲げています。内閣官房情報セキュリティーセンター(NISC)の最新資料によれば、サイバー空間における政府機関への脅威・攻撃件数は、すでに1分間に2回の頻度に達しており、金融、航空、鉄道、電力などの重要インフラへの攻撃も増加の一途をたどっております。

政府においては、これまでもサイバーセキュリティ政策の推進体制を強化してきておりますが、まだ不十分な面があります。特に、内閣に置かれている「情報セキュリティ政策会議」とその事務局であるNISCが法的基盤を欠いていることは致命的と言っても過言ではありません。早急にサイバーセキュリティに関する基本法を整備し、より実効性の高い対応ができる体制を整えるべきだと考えますが、総理の見解を求めます。

今次防衛大綱では、純然たる有事でも平時でもないグレーゾーンの事態が増加・長期化していることを指摘し、そういった事態を深刻化させない方針を示しております。しかし、従来の自衛隊の出動類型で言えば、こういった事態に対しては「海上警備行動」や「治安出動」など、自衛権でなく警察権に基づく出動で対応する整理がなされてきたはずであります。今次防衛大綱であえてグレーゾーンの事態への対応強化を打ち出した背景にはどのような問題意識があるのか、小野寺防衛大臣の答弁を求めます。

最後に、集団的自衛権の問題について、総理に二点うかがいます。総理は、最近の一連の国会答弁において「集団的自衛権を日本は主権国家として国際法上保有するが、憲法上その行使は許されない」という政府の公式見解を変える方針を示しておられます。この立場を支持する根拠の一つとして「権利として保有しているのに、それを行使できなければ権利とは呼べない」という主張がしばしばなされます。しかし、安全保障分野に限らず、国際法上の権利と国内法上の制約が相克・矛盾した場合、政府は国内法上の制約を優先して行政権を執行することが先進諸国の通例であり、現在の政府見解は妥当であると考えますが、総理の率直なご意見を伺いたい。

また、集団的自衛権の行使容認により、日米同盟の片務性を解消すべき、という主張も散見されるところです。すなわち、「日本が攻撃された時、米軍は日本を守るが、逆のケースで日本が何もしないのは同盟国としておかしい」という主張です。しかし、日米同盟は「米国が日本防衛をコミットする代わりに、日本は米軍への施設を提供する」ことで双務性を担保した形になっており、また日本有事の際には自衛隊も個別的自衛権に基づき出動することから、特段の片務性はないというのが従来の政府見解ではなかったでしょうか。この点についての、安倍総理の御見解を伺い、私の代表質問を終わります。

2014年03月18日デイリーメッセージ 国会質疑 外交問題 安全保障

国家安全保障(マイナー自衛権)について(平成26年2月20日・予算委員会)

○遠山委員 おはようございます。公明党の遠山清彦でございます。
 私の持ち時間は二十分でございますので、簡潔に御答弁いただければと思いますが、私は現在、公明党の国際局長という立場で、山口代表の外交活動の補佐をさせていただいております。また、たった今質疑を終えられました自民党の岩屋委員が座長を務める与党安保PTのメンバーとして、昨年末にも、防衛大綱、中期防、あるいは国家安全保障戦略、NSSの策定にかかわらせていただきました。その立場から、きょうは、総理並びに岸田外務大臣、また内閣法制局に何点かお伺いをしたいと思っております。よろしくお願いいたします。
 まず、NSS、国家安全保障戦略の中に、「軍縮・不拡散に係る国際努力の主導」という一項目を入れ、そこで明確に、日本が「「核兵器のない世界」の実現に向けて引き続き積極的に取り組む。」という記述がなされました。
 この内容は、昨年末、与党に内示された当初案にはなかった項目でございまして、私は当時、NSC設置法案の本会議の代表質問で、公明党を代表いたしまして総理と外務大臣に強く求めていたものでありまして、まず率直に評価をさせていただきたいと思っております。
 本年四月には広島で、非核保有国の軍縮・不拡散イニシアチブ、NPDIが開催をされます。さらに、来年は、先ほどもありましたとおり、戦後七十周年、つまり被爆七十周年の節目でございまして、私は、国連軍縮会議などさらに上位の国際会議を日本に誘致するべく、総理を先頭に努力すべきだと考えますが、安倍総理の決意を伺いたいと思います。

○安倍内閣総理大臣 来年、二〇一五年は、終戦から七十年であると同時に、広島と長崎における原爆投下の惨禍から七十年目を迎えるわけであります。核兵器の悲惨さを最もよく知る唯一の戦争被爆国として、核兵器のない世界に向けて国際社会をリードしていくことが我が国の世界における道義的責務である、こう考えております。
 また、岸田大臣は、広島県の出身でもあるわけでありますが、この観点から、本年四月に広島で開催される軍縮・不拡散イニシアチブ外相会合では、二〇一五年のNPT運用検討会議に向けて有益な提案を行う考えであります。
 また、今委員が御指摘のように、もっと積極的に日本は世界に向けてこの考えを発信していくべきだという御指摘もございました。来年の被爆七十周年の節目には、広島において、国連及び広島市の協力のもとに、国連軍縮会議を開催することを現在検討中でございます。
 こうした取り組みを通じて、我が国として引き続き、この分野における国際社会の取り組みを主導していく考えであります。

○遠山委員 総理、ぜひよろしくお願いいたします。
 一点、私、九州比例ブロックの選出の議員として申し上げると、原爆というと長崎も同様に七十周年を迎えるわけでございまして、来年、もしそういう上位の国連軍縮会議等を、今広島とおっしゃいましたけれども、誘致される際には、長崎県、長崎市でも関連の公式行事を組んでいただくなど、配慮していただきたいということを要望申し上げたいと思います。
 続きまして、岸田外務大臣にまずお伺いをしたいと思いますが、総理、最近、あえていわゆるとつけさせていただきます、いわゆるマイナー自衛権という言葉が国会審議やマスコミ報道で使われ出しております。しかし、これは一般国民には、私はほとんど理解をされていないと思います。
 マイナーという言葉を使う以上、それに対してメジャーというのが普通あるんですね。アメリカの大リーグ、これはメジャーリーグがあるからマイナーリーグがあるわけです。そうすると、マイナー自衛権の話をするということは、こういう表現はほとんどないわけですけれども、メジャー自衛権というか、メーンの自衛権の話があって初めて、マイナー自衛権という言葉があるはずでございまして、この辺が国民から見ると非常にわかりにくい。
 ということで、岸田外務大臣、私調べましたら、昨年の国会答弁でマイナー自衛権という言葉をお使いになっています。総理は余り使われていないんですね。
 そこで、あえて、既に国会答弁でマイナー自衛権という言葉を使われている岸田外務大臣に、何がメジャー自衛権で何がマイナー自衛権なのか、国民にわかりやすく簡潔に御説明ください。

○岸田国務大臣 まず、国連憲章第五十一条において、自衛権が認められるのは武力攻撃が発生した場合、このように規定をされています。政府は、従来から、武力攻撃に至らない侵害に対して自衛権の行使として実力を行使することは一般国際法上認められており、このことを国連憲章が排除しているものではない、このように解しております。
 いわゆるマイナー自衛権という言葉ですが、マイナー自衛権とは、このような武力攻撃に至らない侵害に対する自衛権の行使、これを一般的に指すと考えています。
 そして、集団的自衛権等について安保法制懇で議論が行われているわけですが、この点についても議論が行われているという状況にありまして、その議論の中で、例えば、国際法上、外国潜水艦は、他国の領海内では海面に浮上して国旗を掲げて航行しなければならない、このように国際法上定められているわけですが、例えば、我が国の領海内において、外国潜水艦が水中に潜ったまま航行し、退去の要求に応じず、徘回を継続した場合、こういった場合にどのような実力の行使が可能か、こういった検討をする必要がある、こういった問題意識が指摘をされております。
 こういった点を指しましてマイナー自衛権という言葉を使ったわけでありますが、ぜひこの点につきましてもしっかり議論を深めていきたいと考えております。

○遠山委員 そうすると、外務大臣の今の御答弁をわかりやすく言うと、国連憲章は、総理も御存じのとおり、基本的に武力行使を違法化しているわけですね、第二条において。だけれども、もし武力攻撃を国連加盟国が受けた際に自衛権を認めて、それを憲章五十一条で書かれている。
 ですから、先ほど私が言ったメジャー自衛権というのは、国連憲章の第七章で想定されている武力攻撃のことをいうわけです。マイナー自衛権というのは、今の外務大臣の御答弁の中にありましたけれども、武力攻撃に至らない侵害のことをいう、こういう整理になるというふうに思いますが、実は、安倍総理も、ことしの二月四日の安保法制懇の第六回の会合において、総理御自身、御出席をされて、安保法制懇の皆さんに対する諮問事項として、こういうことをおっしゃっているんですね。
 我が国に対する武力攻撃に至らない侵害が発生した場合に、自衛隊が十分な権限でタイムリーに対応できるかどうか、その点で既存の法体系にすき間がないか検討してほしいということを、総理御自身おっしゃっています。ですから、総理御自身はマイナー自衛権という言葉は使っていませんが、事実上そのことを議論するように諮問したというふうになるわけでございます。
 確かに、総理が挙げられた例、あるいは先ほど外務大臣が挙げられた例、総理が挙げられた例というのは、本土から数百キロ離れた離島や海域で、警察や海上保安庁だけでは速やかに対応することが困難な侵害等にどう対処するかということをおっしゃったわけでございます。確かに、これは、今の法体系だと、武力攻撃に至らない侵害の場合は、自衛権の発動に基づく防衛出動というものを発令することはなかなか困難である。しかしながら、現行法上でも、警察権に基づく海上警備行動あるいは治安出動等で自衛隊を動かすことは可能なわけです。
 ただ、恐らく政府内には、この治安出動とか海上警備行動、警察権に基づいて自衛隊が出動した場合には、武器使用について、警察官職務執行法第七条に準拠するわけですから、相手によっては対処できないんじゃないか、こういう懸念があって議論になっているのかと思います。
 ただ、ここで法制局にちょっと伺いたいと思いますけれども、岸田外務大臣が昨年の十月二十九日に、マイナー自衛権についてこういう御答弁をしております。そのまま読みます。政府は、従来から、武力攻撃に至らない侵害に対し自衛権の行使として実力を行使することは一般国際法上認められている、こう明確におっしゃっているわけでございます。
 つまり、武力攻撃に対してだけしか実力をもって反撃してはいけないと国連憲章でなっているはずなのに、外務大臣のこの答弁は、武力攻撃に至らない侵害に対しても自衛権の行使として実力を行使することは一般国際法上認められている、こういう答弁をされております。
 そうしますと、この答弁を読むと、印象としては、別に安保法制懇で議論して新たな出動類型をつくり出さなくても、例えば、治安出動で自衛隊が対処している現場において、相手方の襲撃の武器の強度が非常に想像以上に高い場合に、警職法第七条を超えた武器を現場で自衛隊員が使用してもいいのではないか。つまり、一般国際法上認められていると外務大臣はおっしゃるわけですから、そう解釈もできるのではないかと私は思ったわけですけれども、内閣法制局の見解を聞きたいと思います。
 要するに、警職法第七条を超えて、武力攻撃に至らない侵害の現場において自衛隊員が武器使用することができるかどうか。答えてください。

○横畠政府参考人 国際法上の議論についてはコメントいたしませんが、政府は、従来から、憲法第九条のもとで武力の行使が認められるのはいわゆる自衛権発動の三要件を満たす場合に限られると解してきております。
 お尋ねのような、不正な侵害を受けた現場に限定した防御的、受動的な実力による対応ということでありますれば、御指摘の警察権もございましょうし、現行法のもとにおきましては、自衛隊法第九十五条の武器等防護のための武器使用、さらに、いわゆる自己保存のための武器使用と呼ばれているものがございます。
 このような対応措置につきましては、実力を用いることが含まれておるわけでございますけれども、国内法上の議論としては、これらについて、自衛権あるいは武力の行使という概念では説明してきておりません。
 すなわち……(遠山委員「質問に答えてください、質問に。警職法第七条を超えてどうなのかと聞いているんです」と呼ぶ)そのような防御的、受動的な実力による対応につきましては、当然、警察比例の原則というものが働きますので、その意味で、武力の行使の場合とは異なるということでございます。

○遠山委員 今の答弁は、すごくわかりにくい。
 警職法第七条を超えた武器使用を、警察権に基づいて出動した自衛隊員が現場で使うことはできるんですか、できないんですか、その解釈。(発言する者あり)いやいや、武器使用できるのは、私はそこを問うているんじゃなくて、警職法第七条を超える、強度の高い武器を使うことは、許されるんですか、許されないんですか。どうぞ。

○横畠政府参考人 警職法に定められておりますのは、まさに比例の原則でございまして、そのような対応につきましては、厳密な意味の警察比例の原則を超える武器使用はできません。

○遠山委員 ですから、できないわけですね。武器使用はできますけれども、警職法第七条を超えた範囲の武器使用は、実はできないわけでございます。
 もう一点、この議論の関連で法制局に伺いたいんですが、総理、今の、武力攻撃に至らない侵害への対処の問題においても、あるいは将来我々が議論するであろう集団的自衛権の問題においても、実は共通の概念上の課題があります。それは、国際法上保有している権利と憲法上の制約が相矛盾して相克した場合、行政権を執行する政府としてどちらを優先するか。
 先ほどの外務大臣の答弁は、一般国際法上は、武力攻撃に至らない侵害の場合でも実力行使できると外務大臣が答弁しているわけです。だから、これは、一般国際法の世界で認められている自然権的な自衛権の話をされているんだろうと思いますけれども、一方で、今までの政府の解釈は、憲法上も、第九条の制約によって、自衛権発動以外において武力の行使というのはなかなかできない、こういうふうに言っているわけですね。
 このように、二つの、国際法上保有している権利と憲法上の制約が相克、矛盾した場合は、政府はどちらを優先して行政権の執行をするのか、内閣法制局の見解を伺いたいと思います。

○横畠政府参考人 政府が国際法を遵守しなければならないのは当然であり、また、国の最高法規である憲法を尊重しなければならないこと、これまた当然でございます。
 その上で、国際法上の義務ではなく権利ということでございますれば、これを行使するか否かは各国の判断に委ねられていると考えられるところであり、憲法その他の国内法による制限がある場合にはそれに従うことになると考えております。

○遠山委員 つまり、一言で言うと、憲法上の制約が優先されるという法制局の見解だと思います。
 私は、こういう点を踏まえて、国民の前で、ちょっと、きょうも法制局の次長の答弁が一番国民にとってわかりにくかったと思いますけれども、総理、わかりやすい議論をして、これらの問題に結論を出していかないといけないということだけ申し上げておきたいと思います。
 時間がもう三分ぐらいしか残っていないので、最後になりますが、総理にお伺いをします。(発言する者あり)わかりました、なるべく簡潔にいたします。
 総理、日中の問題につきましては、私自身は八年前に第三次小泉内閣の外務大臣政務官をやっておりまして、当時の外務大臣は麻生現副総理でございますが、鮮烈な思い出がございます。
 小泉内閣の時代に日中関係が大変厳しい局面になりました。それを安倍総理が、総理に就任されて真っ先に中国に訪問されまして、難局を打開された。そして歴史的な戦略的互恵関係の日中共同プレス発表をされたわけでございますけれども、私は、ぜひ総理に、八年前のこの立場に戻っていただいて、日中関係の改善に動いていただきたいと思っております。
 総理、一番大事な点は、同盟国である米国や基本的価値を共有する韓国とともに連携をして、この中国の急速な台頭という新たな東アジアの状況を平和的に管理する体制というものをつくるために日本は積極的に動くべきだと思いますが、総理の御決意を簡潔に聞いて、終えたいと思います。

○安倍内閣総理大臣 まさに遠山委員が言われた問題意識は共有しているところでございまして、最も大切な隣国の一つである韓国との関係を改善していく、そして、委員がおっしゃったように、自由と民主主義、そして基本的人権、価値を共有する国である韓国とともに、アジアの平和と安定に向けて協力をしていくことが重要だろう。日韓そして米国、この三カ国でしっかりとこの地域に対して責任を負っていく、この姿勢のために日韓関係をより改善していきたい、このように考えているところでございます。

○遠山委員 終わります。

2014年02月20日国会質疑 安全保障

日本最東端、南鳥島を視察

1月21日、衆議院安保委員会で日本最東端の南鳥島を視察しました。自衛隊機C130Hで往復9時間、約4000kmの日帰り視察。この島には、現在自衛隊、気象庁、国交省の職員数十名が滞在し、重要な任務にあたっています。海洋国家日本の広さを実感しました。

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2014年01月21日安全保障 活動アルバム 離島振興

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